テーマ:群馬

かみつけの里博物館

群馬県高崎市井出町の上毛野はにわの里公園にある歴史博物館。国の史跡である保渡田古墳群や、群馬県下(上野国)の古墳等の遺跡について豊富な資料が展示されています。
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こんにゃくパーク

株式会社ヨコオデイリーフーズが平成26年(2014年)にオープンした群馬県甘楽郡甘楽町にある企業ミュージアム。施設内は、こんにゃく・白滝工場ZONE、ゼリー工場ZONE、バイキング・おみやげZONEの3つのゾーンがつながっており、特に無料のバイキングコーナーが人気です。
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まねきネコの木

高崎のだるま市で有名な群馬県高崎市の少林山達磨寺の境内、観音堂の近くから見える「まねきネコの木」。木の幹の変形した部分が招き猫に見えるとのことですが、近くに置いてある説明図と照らし合わせると何となくそのようにも見えてきます。
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達磨寺

群馬県高崎市にある黄檗宗の「高崎のだるま市」で有名な寺。古くからこの地に観音堂があり、延宝年間(1673年~1681年)にこの地を訪れた一了が達磨禅師の像を彫って安置し、後の享保7年(1772年)に前橋城・酒井雅楽頭忠知が鎮護国家・武運長久の祈願所とした禅の道場が始まりとのことです。
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光泉寺

群馬県吾妻郡草津町、湯畑のすぐ近くにある真言宗豊山派の寺院で、養老5年( 721年)に行基が薬師堂を創建したと伝えられるそうです。また、南北朝の争いでは南朝側につき僧兵を率い、護良親王、新田義貞、楠木正成、名和長年、北畠親房らによる神札が奉納されているとのことです。
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西の河原公園

草津温泉の湯畑から徒歩10分の所にある、溶岩がゴロゴロ転がり、煙がもうもうと上がる荒涼とした公園。園内に流れる湯川にそって至る所から50度以上の温泉が毎分1万5千リットル湧き出しているとのこと。強い酸性の為、河原に草木は育たないので、別名「賽の河原・鬼の泉水」と呼ばれるているそうです。
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湯畑(草津)

湯畑とは、温泉の源泉を地表や木製の樋に掛け流し、温泉の成分である湯の花の採取や湯温を調節する施設のこと。また、曝気することで有害な濃度の硫化水素を除去する役割もあるとのことです。群馬県草津町の草津温泉では地域のランドマークであるとともに観光名所となっています。
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白旗湯畑

建久4年(1193年)、源頼朝が浅間での狩で草津まで騎馬を進めた際、荒れ果てた源泉地を改修し自ら入浴したと伝えられているところ。以来この湯を御座の湯と呼び、その後祠を建てて頼朝を祀ったのが頼朝宮。頼朝宮は草津温泉開湯の伝承と温泉信仰の歴史的遺跡として草津町の文化財に指定されています。
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大笹関所跡

寛文2年(1662年)、当時の沼田藩主真田伊賀守が建設した関所の跡。北国街道の脇往還にあたる信州街道(大笹街道)は、上州と信州を結ぶ代表的なルートの一つで、人々の交流や物流に大きく貢献しました。また、軍事的な面からも上野国の中では碓氷、猿ヶ京などと並ぶ重要な関所の一つとされていました。
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新田金山城跡

群馬県太田市のほぼ中央にそびえる金山に築かれた山城で「太田金山城」、 「金山城」の別名があります。文明元年(1469年) 新田一族である岩松家純 によって築城され、日本100名城、関東七名城の一つとされています。  
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金山の大ケヤキ

群馬県太田市の金山山頂、新田神社の参道にある推定樹齢が800年とも 伝えられる大木。樹高17m、目通り6.79m、枝張りは40mを超え、樹勢 が良好でまとまった幹を持っている大変趣のある樹木です。  
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御嶽神社(太田市)

群馬県太田市の金山城の本丸跡、新田神社に隣接して鎮座する神社。 国乃常立神、大己貴神、小彦名神、をご祭神とし、明治時代の初期に 本殿、社殿が建てられ、明治8年に無格社に列せられたとのことです。  
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新田神社

群馬県太田市の新田金山に築城された戦国時代の新田金山城の本丸跡 とされている山上に鎮座している神社。新田義貞公を祀り「初志貫徹」の神 様として崇敬されているとのことです。  
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中島知久平像

中島知久平は中島飛行機(後の富士重工業、現在のSUBARU)の創始者とし て知られる人物。海軍軍人、実業家でしたが政治家に転じてからは大臣や政 友会総裁を務めました。群馬県太田市の金山城跡に像がたてられています。  
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史跡金山城跡ガイダンス施設

群馬県太田市の金山の麓に、平成21年(2009年)5月30日に開館した 金山城跡の歴史を紹介する施設。建築家「隈研吾」氏による設計で、外壁 には金山城の石垣をイメージした石板が配置されています。  
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不動堂(大慶寺)

群馬県太田市の大慶寺にある不動堂。妙満尼が父新田義重の像を彫ると、 一夜のうちに不動明王の姿になったので、御影不動ともいい、新田義貞の戦 死を知ると、その死を惜しんで泣いたことから、泣き不動とも呼ばれています。  
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大慶寺(太田市)

群馬県太田市にある牡丹の花で有名なお寺。源義平の妻となった新田義重 の娘が義平没後、父を頼り世良田郷に住み、後に綿打に移り、夫の菩提を弔 うため出家して妙満尼となり一庵を結んだのが始まりとのことです。  
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名胡桃城址

沼田氏が沼田城の支城として築城したとも、また、真田氏が沼田領侵攻の ための前線基地として築城したとも云われている城です。 天正17年、北条氏がこの城を奪取したことが小田原征伐の原因となりました。  
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平八郎石

天正9年3月、沼田平八郎景義は沼田を真田から奪還するため沼田へ 攻め込みましたが、沼田城内にいた伯父の金子美濃守泰清の陰謀に 遭い殺害され、この石の上に平八石の首級がおかれたとのことです。  
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沼田城址

北関東の要衝で、軍事上の重要拠点として諸勢力の争奪戦の的となった城。 後北条氏滅亡後は、大坂夏の陣の頃までは真田氏の本拠地となっていまし たが、現在は沼田公園として整備され、市民に親しまれています。  
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真田信之・小松姫像

群馬県沼田市の沼田城跡に建つ、真田信之とその正妻である小松姫の像。 真田信之は真田昌幸の子、真田信繁の兄で、一時期沼田城主でした。 また、小松姫は本多忠勝の娘で、才色兼備の女性だったと伝えられています。  
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岩櫃城跡

岩櫃城は、現在の群馬県吾妻郡東吾妻町、岩櫃山の東側にあった城。 武田氏がこの地域を支配するようになると、武田家郡代として真田氏が 城主となり、吾妻郡支配の中心的役割を担うようになっていったそうです。  
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富岡製糸場

富岡製糸場は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸工場。 明治5年(1872年)の開業当時の製糸場、繭倉庫などが良好に保存され、 現在は、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産となっています。  
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平井城址

永享の乱の際、関東管領上杉氏の拠点となった城。天文21年(1552年) には、北条氏康の攻撃により落城。永禄3年(1560年)、長尾景虎により 奪還されましたが、後に廃城になりました。  
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内藤塚

群馬県高崎市箕郷町の善龍寺の南約200mの桑畑の中にある塚。 内藤修理が天正3年の長篠の戦いで討死した後、子昌月が父の遺殻をここに 葬り、昌月も天正16年1月に逝去し、修理の側に葬られたと伝わっています。  
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箕輪城址

箕輪城は現在の群馬県高崎市に戦国中期に築城された平山城。武田、 上杉、北条等の戦国大名の争奪の対象となり、城主も入れ替わりました。 慶長3年(1958年)に廃城、現在は日本100名城の一つになっています。  
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めがね橋

群馬県安中市松井田町坂本にある鉄道橋で、正式名は碓氷第三橋梁。 碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、碓氷峠の代表的な建造物。 明治26年(1893年)に竣工、昭和38年(1963年)まで使用されていました。  
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虎姫観音堂

群馬県庁の西側、利根川河畔にある六角形のお堂で、厩橋城で酒井雅楽頭 の身の回りの世話をしていたお虎という美しい娘が他の女中の嫉妬のために 無残な死を遂げ、その霊を慰めるために建てられたとのことです。  
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車橋門跡(前橋城)

群馬県の前橋城車橋門は、慶応3年(1867年)に復興された前橋城の 渡りやぐら門の跡で、当時、前橋城の外曲輪と内曲輪を結ぶ大手筋にあり、 数ある城門の中でも特に重要な門であったとされています。  
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前橋城跡

前橋城は関東七名城の一つ。古くは厩橋城と呼ばれ箕輪城の支城として 築城された石倉城がその始まりと云われています。現在は一部に当時の 石垣を残すのみで、城としての面影は残っていません。  
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