テーマ:滋賀

埋木舎

彦根城佐和口御門近くにある質素な屋敷で、 井伊家の14男として生まれた 井伊直弼が彦根藩主となるまでの不遇の15年を過ごした屋敷として有名。 自らを花の咲かない埋木と同じとして、居宅を「埋木舎」と名づけたcそうです。  
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遠城謙道師之碑

遠城謙道は、桜田門外の変での大老井伊直弼公の横死後、仏門に入り、 江戸における井伊家の菩提寺で、直弼の墓のある豪徳寺に移り住みました。 そこで、終生掃墓、読経をし、霊を慰めること実に37年に及んだとのことです。  
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井伊直弼像(彦根)

井伊直弼は、近江彦根藩の第15代藩主で、幕末に江戸幕府の大老を務め、 勅許を得ず日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行しました。 強権をもって反対勢力を粛清したため、反動を受けて暗殺されてしまいました。  
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夢京橋キャッスルロード

彦根城の京橋から南西に向かって伸びる、昔の商家風の店舗の並ぶ商店街。 「OLD NEW TOWN」をテーマに、本町通りに沿って立ち並ぶ街並みは、商人 屋敷の良さを生かした、江戸時代感覚の新しい建物に建て替えられています。  
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宗安寺

彦根城から程近く、夢京橋キャッスルロードに面してある、浄土宗のお寺。 初代藩主井伊直政が上野国から移したお寺で、城下町のほぼ中心に位置し、 朝鮮通信使の宿等になるなど、重要な役割を果たしていたそうです。  
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四番町スクエア

彦根市本町の夢京橋キャッスルロードに隣接する、平成18年(2006年) 5月に完成の商業施設で、キャッチコピーは、「大正ロマンあふれるまち」。 ゆるキャラは「やちにゃん」で、井伊直弼の娘・弥千代姫がモデルだそうです。  
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彦根城

江戸時代初期に井伊直勝が築城し、幕末まで井伊家14代の居城だった城。 井伊家からは5代6度にわたり大老が輩出され、井伊直弼もその一人でした。 天守閣は、現存12天守の一つで、国宝に指定されています。   
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井伊大老歌碑

彦根城の佐和口多聞櫓のすぐ近くにある、井伊大老(直弼)の歌碑。  「 あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな 」 直弼は和歌においても秀でており、自作の和歌集を編纂したほどだそうです。  
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琵琶湖

滋賀県にある湖で、日本で最大の面積と貯水量を持ち、湖水は淀川流域 の上水道として利用され、京都市は琵琶湖疏水から取水しています。 縄文時代や弥生時代から水上の交通路としても利用されていたようです。  
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長浜城

天正元年(1573年)に、羽柴秀吉が浅井氏攻めの功績で、当時は今浜と 呼ばれていた浅井氏の旧領であったこの地を、信長から拝領して築城した城。 秀吉が最初に築いた居城で、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所です。  
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小谷城戦国歴史資料館

滋賀県長浜市の小谷山の麓にある、小谷城と浅井氏に関する歴史資料館。 「戦国大名の浅井氏」と「小谷城」の2つをテーマにした展示室があり、 小谷城の詳細な構造、また、小谷城跡からの発出土品も展示されています。  
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小谷城跡

小谷城は、長浜市湖北町伊部(旧・近江国浅井郡)にあった戦国時代の城。 戦国大名浅井氏3代の居城であり、堅固な山城として知られていましたが、 織田信長に攻められてついに落城し、浅井氏は滅亡しました。  
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北条仲時墓

北条仲時は、鎌倉時代の北条氏一門で、鎌倉幕府最後の六波羅探題北方。 元弘3年(1333年)5月、六波羅を攻め落とされると、東国へ落ち延びようと しましたが叶わず、番場の蓮華寺本堂前で一族432人と共に自刃しました。  
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蓮華寺

滋賀県米原市番場にある、浄土宗(旧時宗)のお寺で、聖徳太子によって 開かれた寺と伝えられ、当初は寺号を法隆寺と称していたとのことです。 六波羅探題北方の北条仲時が、一族郎党432名と伴に自刃したお寺です。  
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安土城

天下制覇を目指した織田信長が、琵琶湖畔の安土山に築いた城。 岐阜城よりも京に近く、琵琶湖の水運も利用できる等の利点があった。 優れた築城技術も導入されていて、以降の各地の築城にも影響を与えました。  
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信長の館

平成4年(1992年)にセビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主閣。 金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根、内部には狩野永徳 の描いた「金碧障壁画」、など絢燗豪華な安土城が復元されています。  
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平宗盛終焉の地

平宗盛は平清盛の三男、平家一門の武将・公卿で、官位は従一位内大臣。 壇ノ浦の戦いで、宗盛は死にきれずに捕虜となり、鎌倉に送られましたが、 京都に送還される途中、嫡男清宗とともに、近江国篠原宿で斬首されました。  
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義経元服池

承安4年(1174年)、鞍馬山を脱出した牛若丸は、現在の滋賀県竜王町の 時の長者「沢弥傳」の屋敷に泊まり、その夜、元服することを決意しました。 この池の水を用いて元服した牛若は以後、源義経と名乗るようになりました。  
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烏帽子掛けの松

滋賀県竜王町の鏡神社の参道にある松の古木で、鏡の宿でただひとりで 元服した牛若が元服後、鏡神社に参拝し、源九郎義経と名乗りをあげて、 源氏の再興を祈願した際に、この松の枝に鳥帽子をかけたと伝わっています。  
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鏡神社

滋賀県蒲生郡竜王町に鎮座する、「日本書紀」にも記されている朝鮮半島 の新羅から陶製技術(渡来文化)を日本に伝えた、天日槍を祀る神社。 本殿は三間社流造りのこけら葺で、国の重要文化財に指定されています。  
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源義経宿泊館跡

京都の鞍馬寺より奥州下向の途中、近江の「鏡の宿」(現在の滋賀県竜王町) に到着した牛若丸一行は、承安4年(1174年)3月3日、当時の宿駅の長で あった澤弥伝の「白木屋」の旅籠に宿泊したと伝わっています。  
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明智左馬之助湖水渡りの碑

山崎の合戦後、明智光秀の敗死を知り、坂本に引き揚げようとした 明智左馬之助秀満は、大津の打出の浜で敵に遭遇し、窮地に陥りました。 しかし、秀満は琵琶湖を馬を泳がせて渡り、坂本に帰り着いたとのことです。  
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山吹供養塚

義仲寺境内にある、木曽義仲の妻そして妾とも云われている山吹の供養塚。 山吹は京にいましたが、義仲に逢おうとして大津まで来たとき、義仲戦死の 報を聞いて、悲嘆のあまり自害したとも捕られたとも伝わっています。  
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木曾義仲墓

木曾義仲は戦いに敗れ、今井兼平ら数名の部下と共に落ち延びようと しましたが、近江国粟津(現在の滋賀県大津市)で討ち死にをしました。 義仲の墓所は、室町時代に没地近くに開かれた朝日山義仲寺にあります。  
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巴塚

木曽義仲の愛妻巴は、粟津野の戦いで捕えられて、和田義盛の妻と なりましたが、義盛も戦死のあとは尼僧となり各地を廻ったとのことです。 当地にも暫く止まり 、亡き義仲の菩提を弔っていたと伝わっています。  
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松尾芭蕉墓

松尾芭蕉は元禄7年(1694年)10月12日、現在の大阪御堂筋の付近に あった花屋仁左衛門の貸座敷で、51歳の生涯を閉じましたが、その遺骸は 遺言通り、大津の義仲寺の木曽義仲の墓の隣りに埋葬されたとのことです。  
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義仲寺

寺の創建については不詳ですが、木曾義仲の死後、愛妾であった巴御前が 墓所近くに草庵を結び、日々供養したことに始まると伝えられているそうで、 別名、巴寺、無名庵、木曽塚、木曽寺、また義仲寺と呼ばれていたそうです。  
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弁慶水

比叡山東塔近くにある「弁慶水」「千手水」「千寿水」などと呼ばれている 湧水で、比叡山の西塔に住んでいた武蔵坊弁慶が、千日間の「千手堂 (山王院)」参籠の際に、ここの水を汲んだと伝えられています。  
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にない堂

比叡山西塔にある堂で、向かって右側の法華堂と左側の常行堂が渡り 廊下で結ばれていて、この渡り廊下を「にない棒」に見立て武蔵坊弁慶が 肩で担ぎ上げたという逸話から「にない堂」と呼ばれているそうです。  
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延暦寺

延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にあり、比叡山全域を境内とするお寺。 平安時代初期の僧・最澄により開かれた日本天台宗の本山寺院です。 平成6年(1994年)に、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。  
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