テーマ:宮城

仙台城大広間遺構

仙台城本丸大広間は本丸御殿の中心となる建物で、その広さから「千畳敷」とも称されたといわれています。内部には、伊達政宗をはじめとする歴代藩主の座する「上段の間」をはじめ、「孔雀の間」「檜の間」など多くの部屋が配置され、各間は豪華な障壁画や飾金具で装飾されていたそうです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

土井晩翠 歌碑

土井晩翠は現在の宮城県仙台市青葉区出身の詩人・英文学者で、滝廉太郎の作曲による「荒城の月」の作詞者としても知られています。土井晩翠が詞を構想したとされる宮城県仙台市の青葉城址に「荒城の月」の歌碑と土井晩翠の胸像があります。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

宮城県護国神社

宮城県仙台市にある青葉山の仙台城(青葉城)本丸跡に創建された神社。明治維新以降の諸事変、戦役における宮城県関係あるいは縁故のある戦死・殉難者、5万6千余柱を祀っています。仙台空襲で焼失した社殿は、昭和33年(1958年)に伊勢神宮別宮「風宮」の旧社殿を移築して復興したそうです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭忠塔

仙台城跡にあるこの塔は、明治10年の西南の役、明治27~28年の日清戦争などの内外の戦争において戦死した東北各地の将兵の死を悼み、慰霊のために明治35年に建てられたもの。塔の頂上にあった鵄(トビ)は東日本大震災の時に落下してしまいましたが、その後修復され、現在は塔の前に設置さています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

伊達政宗配像

仙台城本丸跡にある伊達政宗の騎馬像。昭和10年(1935年)に小室達作の初代伊達政宗騎馬像が建立されましたが、その像は大東亜戦争時に金属類回収令により供出されました。しかし、昭和39年(1964年)10月9日、初代像の石膏原型を用いて2代目の伊達政宗騎馬像が仙台城本丸跡に再建されました。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

仙台駅

宮城県仙台市青葉区中央一丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)、仙台市交通局(仙台市地下鉄)の駅で、東北地方最大のターミナル駅。仙台駅周辺地区は、国土交通省の「都市景観100選」に選ばれています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

不帰の滝

宮城県の白石から蔵王に向かう蔵王エコーラインの駒草平展望台から見える滝。お釜からの水が流れ落ちる落差が97.5m、幅が14mもある大きな滝です。滝の名の由来は、この付近に鬼ババが住んでいて近づくと帰ってこられなくなる、あまりに見事で帰るのを忘れる程の滝である、などの説があるそうです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

仙台七夕まつり

例年、8月6日から3日間にわたって行われる仙台市のお祭りで、市内各地 至るところに小から大まで合計3000本と言われる竹の飾り付けが並びます。 東北三大祭りの1つで、例年200万人以上の観光客が訪れるとのことです。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

横綱大砲像

大砲万右エ門は、現在の宮城県白石市大鷹沢三沢出身の明治期に活躍した 元大相撲力士で、第18代横綱。没後80年が経過した平成11年(1999年) 生誕130年を記念して白石城二の丸公園に銅像が建立されました。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

片倉小十郎景綱頌徳碑

宮城県の白石城に建てられている、片倉小十郎景綱の頌徳碑。 片倉景綱は、伊達政宗の近習から後に軍師的役割を務めたとされる武将。 仙台藩片倉氏の初代で、慶長7年(1602年)に白石城の城主となりました。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

白石城

宮城県白石市にあった城。仙台藩の支城として用いられ、江戸幕府の一国 一城制の対象外とされて明治維新まで存続していました。平成7年に三階櫓 (天守閣)と大手一ノ門・大手二ノ門が史実に忠実に木造で復元されました。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

刈田嶺神社

奥羽山脈・蔵王連峰の宮城県側、刈田岳(標高1758m)の山頂にある神社。 山麓の遠刈田温泉にある「刈田嶺神社」と対になっており、山頂の社を「奥宮」 といい、神体は、夏季には山頂の「奥宮」に遷座していらっしゃるとのことです。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

蔵王

山形県から宮城県にかけて連なる山々で、活火山でもあります。 火口湖の御釜や噴気口も見られ、周囲には温泉もあり、 また、冬季にはスキー場にもなり、東北の主要な観光地の一つです。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

阿久利川古戦場

天喜4年(1056年)、陸奥守兼鎮守府将軍源頼義が阿久利川畔に宿営中、 配下の武将の陣屋が何者かによって襲撃されるという事件が発生。 源頼義は、これを安倍貞任の仕業と断定し、前九年の役が始まりました。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

伊治城跡

奈良時代の神護景雲元年(767年)に大和朝廷により造営された城柵跡。 蝦夷の指導者であった伊治呰麻呂は宝亀11年(780年)、この城柵で 反乱を起こし、多賀城まで攻め込んで多賀城を焼き払ったととのことです。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

鬼切部城跡

陸奥国の豪族である安倍氏が現在の宮城県大崎市鳴子に築いた城。 永承6年(1051年)に、陸奥守藤原登任が安倍氏への懲罰を試みて、 この付近で戦いが起こり、前九年の役へと発展していきました。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

岩出山城跡

豊臣家による小田原征伐後、伊達政宗は米沢から岩出山に移封され、 その後12年間、仙台城に移るまで、この岩出山城を居城としました。 伊達政宗の四男宗泰が岩出山伊達家の初代となり、維新まで続きました。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

伊達政宗像

伊達政宗は伊達氏第17代の当主で、仙台藩初代藩主。 幼少時に患った天然痘のために右目を失明し、後世独眼竜とも呼ばれました。 仙台に移る前の居城であった岩出山城に像が建てられています。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

伊達家霊廟

伊達政宗が12年間居城とした岩出山城の近くにある岩出山伊達家の霊廟。 岩出山伊達家は、伊達政宗の四男宗奏が藩祖で、 ここには、宗奏はじめ、歴代の藩主、殉死者等の墓碑が並んでいます。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

城生柵跡

宮城県加美町城生にある奈良時代の遺跡。 八脚門跡などが確認されていることから、官衙の跡ということは確実で、 律令国家による東北地方支配の拠点の一つとみられるているそうです。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

津波被害の跡

平成23年(2011年)3月11日に、東北地方太平洋沖地震が発生しました。 地震の規模は、M9.0で、日本の観測史上最大規模の地震で、三陸地方に 甚大な被害をもたらし、その傷跡は、いまだに各所に残されています。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

奥松島

奥松島は宮戸島を中心とした松島湾の北東部および野蒜海岸一帯の地域で、 仙台側から見て「松島」のさらに先にあることから、奥松島と呼ばれています。 「松島」ほど歓楽施設が多くなく、「奥松島」は静かな風情で人気があります。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

瑞巌寺灯道

瑞巌寺は、日本三景の一つである松島にある臨済宗妙心寺派の寺院。 瑞巌寺の周辺では、8月の3日間、七夕の宵祭り「瑞巌寺灯道」が開催され、 暗闇の中で、蝋燭や提灯による幻想的な雰囲気が浮かび上がります。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

多賀城跡

神亀元年(724年)、大野東人による築城と伝えられています。陸奥国府や 鎮守府が置かれ、当時の東北地方の政治・軍事等の中心地で、平城宮跡、 大宰府跡とともに、日本三大史跡に数えられています。  
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more