テーマ:岩手

洪水水位表示板(一関駅前)

JR一関駅東口駅前ロータリーにある、洪水時の水位を表示したパネル。 昭和22年(1947年)9月のカスリン台風による洪水の水位、及び、 昭和23年9月のアイオン台風による洪水の水位が示されています。  
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前沢サービスエリア

岩手県奥州市前沢区の東北自動車道上、起点の川口JCTから 437.5km地点、平泉前沢ICと水沢ICの間にあるサービスエリア。 レストランでは名前の通り、前沢牛を使用した料理も提供しています。  
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岩手山

岩手県八幡平市、滝沢市、雫石町にまたがり、西に姥倉山、大松倉山 が続くものの、奥羽山脈の主稜からは離れていて、独立峰に近い成層火山。 標高は2038mあり、岩手県の最高峰で、日本百名山に選定されています。  
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弁慶立往生旧跡

武蔵坊弁慶は、源義経に仕えた怪力無双の荒法師として名高く、衣川の戦い では、義経を守って堂の入口に立って薙刀を振るって戦い、雨の様な矢を受け て立ったまま死んだとされ、「弁慶の立往生」と後世に語り継がれています。  
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中尊寺

岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山のお寺。 奥州藤原氏三代所縁の寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の 粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財を有し世界遺産に登録されています。  
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讃衡蔵

岩手県平泉の中尊寺金色堂に隣接してある、いわゆる宝物館で、讃衡蔵は 奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡)の偉業をたたえる宝蔵という意味とのこと。 現存する3千点以上の国宝・重要文化財の殆んどがここに収蔵されています。  
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金色堂

奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、 平安時代の浄土教建築の代表例であり、国宝に指定されています。 須弥壇内には、奥州藤原氏3代の遺体と泰衡の首級が納められています。  
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覆堂(金色堂)

中尊寺の金色堂は建立当初は屋外に建てられていましたが、正応元年 (1288年)に鎌倉将軍惟康親王の命令で堂を外側から包む形の覆堂が 建設され、現在、この覆堂は移築され重要文化財に指定されています。  
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松尾芭蕉像

松尾芭蕉は、俳聖として世界的にも知られる日本史上最高の俳諧師の一人。 弟子の河合曾良を伴い、江戸から東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した 紀行文『おくのほそ道』という書物が有名です。
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芭蕉句碑(金色堂)

中尊寺金色堂の傍に、松尾芭蕉が詠んだ句の碑が建てられています。        「五月雨の 降り残してや 光堂」 500年経っても光堂は色あせずに美しいままだ、と詠んだものだそうです。  
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宮沢賢治詩碑

宮沢賢治は、「銀河鉄道の夜」などで有名な岩手を代表する童話作家です。 宮沢賢治と中尊寺の関係は深く、賢治は金色堂に合祀されているとのことで、 金色堂の傍らには宮沢賢治の詩碑があります。  
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陣ケ岡歴史公園

古来より、数々の武将が陣を布いてきた場所で、源頼義は前九年の役の戦後 処理の際、安倍貞任の首級に八寸釘を打ち込みこの地に晒し、その130年後 源頼朝は藤原泰衡の首級に八寸釘を打ち込んで同じ場所に晒したそうです。  
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蜂神社

岩手県紫波郡紫波町に鎮座する、源義家が勝利を導いた蜂を祀った神社。 源義家は厨川の戦いで、蜂の巣を袋にとり、蜂を怒らせてから安倍貞任陣営 に投げ込み、蜂が一斉に襲うと同時に攻めかかり勝利を収めたとのことです。  
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天昌寺

盛岡市にある曹洞宗のお寺で、安倍氏滅亡の地、厨川柵の有力な擬定地。 陸奥国の豪族であった安倍一族が厨川柵に祀っていた祈願所が発祥とされ、 前九年の役で敗れた安倍氏一族郎党の菩提を弔っているとのことです。  
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河崎の柵跡

天喜4年(1056年)、前九年の役で、安倍貞任が源頼義軍を迎え撃つため、 兵を構えたのが「河崎の柵」で、その場所がここであると擬定されています。 両者の戦いは、「黄海の戦い」と呼ばれ、源頼義軍の大敗に終わりました。  
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豊田館跡

奥州藤原氏の祖先・藤原経清が居館として築き、 経清の子、清衡が生まれ育った場所であると伝わる館跡。 清衡は康和元年(1099年)、豊田館から平泉へ移っていきました。  
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鳥海柵跡

岩手県胆沢郡金ケ崎町西根にあった平安時代の豪族安倍氏の城柵跡。 前九年の役の際、安倍頼時は、源頼義の勧誘に応じた安倍富忠と戦い、 流れ矢に当たり、この柵に帰ったものの、その傷が故で落命したそうです。  
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胆沢城跡

現在の岩手県奥州市にあった、日本の古代城柵で、国の史跡。 坂上田村麻呂が802年(延暦21年)に築き、1083年(永保3年)の 後三年の役の頃まで約150年にわたり鎮守府として機能したとのことです。  
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田んぼアート

田んぼアートは、田んぼを大きなキャンバスに見立て、色の異なる稲を 植えることにより、田んぼに巨大な絵や文字などの作品をを作ることです。 日本各地で行われ、奥州市水沢でも見事な作品を見ることができます。  
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巣伏古戦場

延暦8年(789)に起こった、朝廷軍と阿弖流為率いる蝦夷軍との戦いの跡。 朝廷軍は、兵数で圧倒的に劣る蝦夷軍に大惨敗し、遠征は失敗。 現在は「巣伏古戦場跡公園」があり、そこに戦いの碑が建てられています。  
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高野長英の碑

岩手県奥州市水沢にある高野長英記念館の側にある高野長英の碑。 奥州市水沢では、長英は郷土の三偉人(高野長英、後藤新平、斎藤実) の一人として扱われているそうです。  
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高野長英記念館

高野長英は、現在の岩手県水沢出身の医者であり蘭学者だった人物。 この記念館には、高野長英の我が国最初の生理学書「医原枢要」などの 著書や訳書など約200点を展示されています。  
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後藤新平記念館

明治から大正期にかけて活躍した後藤新平は、現在の奥州市水沢の出身。 後藤新平記念館は、郷土が生んだ偉人の業績を讃えるものとして奥州市が 運営し、館内には後藤新平に関する様々なものが展示されています。  
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後藤新平像

後藤新平は、明治~大正期にかけての医師・官僚・政治家。 台湾総督府民生長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、 等を歴任し、関東大震災後には、東京の帝都復興計画を立案しました。  
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高橋家(水沢)

高野長英旧宅に隣接する武家屋敷。 江戸時代、この小路は「吉祥寺前小路」「東大畑小路」などと呼ばれ、 武家屋敷が配置された通りだったそうです。  
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高野長英旧宅

高野長英は、水沢出身の江戸時代後期の医者であり蘭学者であった人物。 高野家は、高野長英の母美也の実家で、長英が17歳で江戸に出るまでの 一時期を暮らしたところだそうです。  
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陣場

延暦8年(789年)、紀古佐美が征夷の際に陣を構えたところ、また、 天喜5年(1057年)の前九年の役では、安倍氏が布陣したと伝わる丘。 現在は、国民宿舎「サンホテル衣川荘」が建っています。  
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中の営跡 古戸古戦場

延暦8年(789年)、紀古佐美の征夷にあたり衣川に設けられた営の跡。 また、前九年の役の際には、天喜5年(1057年)と康平5年(1062年) の2度にわたり合戦が行われた場所と伝わっています。  
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一首坂

前九年の役の名場面、戦いの中、源義家と安倍貞任が歌を交わしたところ。 源義家   「衣の館はほころびにけり」 安倍貞任  「年を経し糸の乱れの苦しさに」  
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安倍館跡

前九年の役の一方の当事者である安倍頼時の館跡と伝わるところ。 安倍頼時の祖父である安倍忠頼の代からの安倍氏累代の居城で、 その地勢から、舞鶴館、落合館とも云われているそうです。  
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