テーマ:館跡

紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡

紀伊和歌山藩徳川家は徳川御三家の一つで、初代藩主は徳川家康の10男頼宣。8代将軍吉宗、14代将軍家重が紀伊徳川家から出ています。その紀州徳川家の上屋敷跡が、現在では複合商業施設である東京ガーデンテラス紀尾井町になっています。
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ニュー・プレイス

ストラトフォード・アポン・エイヴォンにあるウィリアム・シェイクスピアの最後の 居住地であり、1616年にシェイクスピアが亡くなった場所。当時の家屋は残 っていませんが、跡地が一般公開されています。  
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グリーンウェイ・ハウス

グリーンウェイ・ハウスはアガサ・クリスティが晩年に別荘として利用した邸宅 で、クリスティの小説の中にも登場しているそうです。現在はナショナルトラスト に寄贈されていて、内部も見学することが出来ます。  
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クロムウェルの家

イングランド共和国初代護国卿であったオリヴァー・クロムウェルは1638年 から数年間イーリーで暮らしていたとのこと。16世紀からあるかつての彼の 家は今でも保存されていて、現在では観光情報局のオフィスとなっています。  
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国木田独歩住居跡

国木田独歩は、千葉県調子生まれの小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。 明治29年(1896年)、現在の渋谷区のNHK放送センターの南側に移り住 み、翌明治30年(1897年)6月麹町に移ったそうです。  
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遍奇館跡

現在の東京都港区六本木の、作家永井荷風が大正9年(1920年)から 昭和20年の空襲で焼けるまで25年間住んだ所。偏屈な変わり者を自認 し、ペンキ塗り木造2階建ての洋館をもじって偏奇館と命名したそうです。  
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勝海舟邸跡

東京都港区赤坂の本氷川坂の下にある勝海舟邸跡。勝海舟は、安政6年 (1859年)から明治元年(1868年)までをこの地で過ごし、文久2年 (1862年)12月、坂本龍馬が勝に面会するために訪れたのがこの地です。  
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勝安芳邸跡

静岡に移住していた勝海舟が、明治5年(1873年)に東京に戻ってきて、 明治32年(1899年)に亡くなるまで住んでいた所で、勝海舟の終焉の地で もあります。現在は特別養護老人ホーム「サン・サン赤坂」となっています。  
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井伊氏居館跡

静岡県浜松市北区の井伊谷城跡の麓にある井伊氏の居館跡で、現在では、 南西隅に堀の跡が水路として残るのみ。井伊氏の本拠は平時を過ごした居 館と北西に位置する井伊谷城で構成されていたと考えられているそうです。  
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徳川慶喜公屋敷跡

最後の将軍・徳川慶喜が戊辰戦争で破れた後、移り住んだのが静岡市。 現在は料亭「浮月楼」となっているこの地で、慶喜は写真・狩猟・投網・ 囲碁・謡曲など、多くの趣味に没頭する生活を送っていたとのことです。  
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松岳院跡地

龍潭寺境内の松岳院跡地は、井伊直盛公の内室、松岳院(井伊直虎の母) が住まわれた塔頭があった場所。永禄11年(1568年)11月、徳政令を受 け入れた井伊直虎も、井伊谷城を出て松岳院に入りました。  
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江川邸

静岡県伊豆の国市韮山にある韮山代官所だった屋敷。韮山代官は江川家 によってほぼ世襲され、代々江川太郎左衛門を名乗のり、この屋敷は江川 邸と呼ばれています。主屋その他が国の重要文化財に指定されています。  
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江川太郎左衛門屋敷跡

東京都墨田区、すみだ北斎美術館のすぐ近くに案内板がたてられています。 江川英龍は、江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。近代的な沿岸防備の 手法に強い関心を抱き、品川台場を築造し、反射炉の建造に取り組みました。  
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青柳家

「みちのくの小京都」とも呼ばれる角館に、数多く残る武家屋敷の中の一つ。 主屋は寄棟萱葺き屋根の鍵屋、座敷は現存する角館の武家屋敷の中で最も 豪華で、また、角館の歴史にまつわる数々の貴重な品々も収蔵されています。  
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左女牛井戸跡

左女牛井は京の名水の一つで、堀川五条のやや南に碑が建てられています。 この辺りは、源氏の本拠地で、源頼義・義家・為義・義朝・義経などが居を構え た六条堀川館があった所で、左女牛井はその邸内にあったとのことです。  
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前川家(壬生)

文久3年(1863年)から2年間、新選組の屯所となった京都の壬生にある家 で、池田屋事件の端緒となった古高俊太郎の拷問はここの土蔵で行われた とのことです。現在は個人の住宅のため、内部は一般公開されていません。  
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八木家(壬生)

文久3年春、江戸から京に入った浪士隊が宿営した京都壬生村の郷士の家。 その後分裂した浪士隊の一部が新撰組を結成し、この八木家を屯所としまし た。内部抗争で芹澤鴨が暗殺された部屋とその時の刀傷が残されています。  
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京都祇園堂

京都東山の円山公園を南に出た処にある、阿弥陀如来が祀られている御堂。 かつてこの付近には祗園女御のお屋敷と隣接して阿弥陀堂があり、白川法皇 が崩御のあと、女御は法皇の菩提を弔ってこの地で余生を過ごしたそうです。  
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坂本龍馬妻お龍寓居跡

京都の木屋町通の山崎橋近くに石碑が建てられています。坂本龍馬の妻の お龍が、坂本龍馬と出会う前の独身時代に住んでいたとされる場所とのこと ですが、正確な位置は不明だそうです。  
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武市瑞山寓居跡

武市瑞山は、土佐藩郷士で尊王攘夷を志す幕末の志士。文久2年(1862年) 山内容堂に従って上洛し、この地に住んで応接役として各藩士と交わったとの こと。武市瑞山は後に投獄され、慶応元年(1865年)に切腹を命じられました。  
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加賀藩邸跡

加賀藩は102万石を誇った最大の外様大名で、前田家が代々藩主でした。 高瀬川の西側、河原町通にいたる間は、江戸時代に加賀藩の藩邸があった 処で、留守居役が詰め、各種の連絡事務に当たっていたそうです。  
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角倉了以別邸跡

角倉了以は、国内諸河川の開発整備に従事し、慶長16年(1611年)には この地二条より鴨川の水を引き、伏見に達する高瀬川を開削しました。 現在の「がんこ高瀬川二条苑」辺り一帯は角倉家の邸地だったそうです。  
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角倉了以邸跡

京都市中京区木屋町にある、高瀬川の開削で知られる角倉了以邸跡。 角倉了以は実家が裕福だったことから、莫大な資金のかかる川の開削に大き く関係し、高瀬川の開通により、京都の物価を安定させたと伝えられています。  
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長州藩邸跡

中京区河原町通御池西入る付近、現在は京都ホテルになっている一帯。 幕末には長州藩の重要な政治的拠点となり、蛤御門の変で敗れた時には、 この邸内に自ら火を放ち逃れましたが、市中には延焼しなかったそうです。  
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白川南殿跡

平安時代後期(11~12世紀)、白河とよばれたこの地には、上皇の御所が 設けられ、その内の一つである白河南殿は、「白河泉殿」、「南本御所」ともよ ばれ、阿弥陀堂があったことから「白河阿弥陀堂御所」とも称されたそうです。  
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山紫水明処

江戸後期の儒学者・頼山陽が晩年に住んだ書斎で、鴨川に面して窓から 東山を望めたことから「山紫水明処」と名付けたそうです。現在も藁葺き 屋根もそのままに保存され、頼山陽の子孫が管理しているとのことです。  
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千利休聚楽屋敷跡

京都市上京区の晴明神社の鎮座する場所が、千利休の聚楽屋敷跡。 天正19年(1591年)2月28日、千利休は秀吉の命によりこの屋敷で 切腹し、首は近くの一条戻橋の袂に晒されたそうです。  
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首途八幡宮

京都市上京区にある神社で、かつては金売吉次の屋敷があったと伝わる処。 承安4年(1174年)3月3日、源義経は奥州に赴く際に、吉次の助けを得て、 鞍馬山から当社に赴き、道中の安全を祈願して出発したと云われています。  
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酒井家上屋敷跡

皇居(江戸城)大手濠の近くにある将門塚と同じ敷地に案内板があります。 江戸時代の寛文年間、この地は酒井雅楽頭の上屋敷の中庭があった処で、 伊達騒動の終末、伊達安芸・原田甲斐が殺害されたところだそうです。  
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滝沢馬琴の硯の井戸跡

滝沢馬琴は、「南総里見八犬伝」の作者として知られる、江戸時代の小説家。 寛政5年(1793年)27歳で、当時飯田町中坂と呼ばれたこの地の履物商 伊勢屋に婿入りし、58歳で神田同朋町に移るまでここに住んでいたそうです。  
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