テーマ:鎌倉

政所跡

政所は、親王、三位以上の公家の家政を担当する機関。鎌倉幕府では源頼朝が従二位へ昇格したことにより、公文所が政所へと改称されました。鶴岡八幡宮三の鳥居の東側の建物の塀にプレートが張り付けてあります。
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鎌倉宮

明治2年(1869年)、明治天皇の命により造営された神社。祭神は、建武の中興に功績の大きかった大塔宮護良親王。大塔宮護良親王は、この地にあった東光寺の牢で殺害されました。
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絵柄天神社

菅原道真を祭神とし、大宰府天満宮、北野天満宮と並ぶ三天神社の一つ。鎌倉に幕府を開いた源頼朝が鬼門の守護神と仰ぎ、改めて社殿を造。学問の神様として、受験シーズンには沢山の参拝者で賑わいます。
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北条義時墓跡

鎌倉の源頼朝の墓から程近く、大江広元などの墓の下にある広場の部分。ここにはかつて、鎌倉幕府2代執権北条義時の墓があった法華堂跡とされているところで、1辺が8.4mの正方形の形をした「三間堂」があったそうです。
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法華堂跡

鎌倉市西御門にある法華堂は、源頼朝が聖観音像を本尊として建立した持仏堂。源頼朝は死後、持仏堂であった法華堂に葬られたと云われています。宝治合戦で、三浦泰村ら一族500名が自害したところでもあります。
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源頼朝の墓

源頼朝の墓があるのは、大蔵御所があったとされるところの北側の斜面。元々は、法華堂跡にあったものが島津家により現在地に移されたそうです。石塔には島津家のものである「丸に十の字」の紋が確認されます。
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鶴岡八幡宮

宇佐八幡、石清水八幡宮、筥箱崎宮と並ぶ代表的な八幡宮で、源頼朝が鎌倉に本拠を定めたとき、鶴岡若宮をこの地に移したのが始まり。鎌倉武士の守護神として崇拝され、 境内は国の史跡に指定されています。   
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本覚寺

鎌倉にある日蓮宗のお寺、妙厳山本覚寺。日蓮がこの山門付近にあった夷堂を辻説法の拠点としていたとのこと。身延山から日蓮の遺骨を分骨したため、東身延とも呼ばれています。
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蛇苦止堂

建仁3年(1203年)の比企の乱で、比企の娘の若狭局は井戸に投身自殺しました。その後、文応元年(1260年)、北条政村の娘が若狭局の霊に祟られたので、政村が若狭局を蛇苦止明神として、この蛇苦止堂に祀ったと伝わっています。
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竹御所墓

鎌倉の妙本寺境内にある竹御所(名は、鞠子あるいは媄子)の墓。竹御所は源頼家の娘で、一幡の同母妹、公暁の異母妹と考えられていて、33歳で亡くなりましたが、源頼朝の最後の直系子孫だったそうです。
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北条政子供養塔

鎌倉の安養院境内にある北条政子の墓とされる供養塔。安養院の正式名は祇園山安養院長楽寺で、安養院は北条政子の法名。長楽寺は元々は政子が頼朝の菩提を弔うために長谷に建立した寺でした。
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良弁尊観石塔

鎌倉の安養院境内の北条政子供養塔の向かって右側にある大きな石塔。長谷にあった長楽寺は焼失し、この地にあった善導寺に統合されましたが、良弁尊観は、その善導寺を建立した僧とのことです。
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妙法寺

日蓮が安房より移り住んだ鎌倉の大町の松葉ヶ谷草庵跡とされるところに、大塔宮護良親王と南方の間に生まれた日叡が開山したと伝わるお寺。境内には大塔宮護良親王、南方、日叡の墓があります。
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薩摩屋敷事件戦没者の墓

江戸薩摩藩邸の焼討事件は、慶応3年12月25日(1868年1月19日)に、江戸の三田にある薩摩藩の藩邸が江戸市中取締の庄内藩新徴組らによって襲撃、放火され焼失した事件のこと。薩摩藩、幕府方の両軍の戦死者を弔ったこの墓は、平成7年に三田からこの鎌倉の妙法寺境内に移されたとのことです。   
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苔の石段

鎌倉の妙法寺境内にある苔の石段。苔が絨毯のように石段を覆い、その美しさからこの妙法寺は「苔の寺」とも呼ばれています。なお、苔を保護するためにこの石段は使用不可で、脇を通る別な石段を上ると護良親王の墓などに行くことが出来ます。    
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大塔宮護良親王墓

鎌倉にある妙法寺の実質的な開山である日叡上人は、建武の新政の騒乱期に征夷大将軍ともなって活躍した大塔宮護良親王の子で、妙法寺の境内に父の墓をつくりました。なお、大塔宮護良親王の正式な墓は、鎌倉市二階堂の理智光寺跡にあります。    
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松葉ヶ谷御小庵跡

日蓮上人が建長5年(1253年)から文永8年(1271年)までの18年間、鎌倉における布教伝道の拠点としたとされる場所。日蓮上人が「立正安国論」を著し、また、松葉ヶ谷法難のあった処ともされていますが、この妙法寺の他にも推定地があり、場所の確定はされていないとのことです。
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正岡子規歌碑(鎌倉)

鎌倉の安国論寺に、正岡子規の「鎌倉の松葉が谷の道の辺に法を説きたる日蓮大菩薩」の歌碑があります。正岡子規は、明治20年(1888年)と明治26年(1893年)の2度、鎌倉を訪問。同寺にも足を運び、日蓮に関する和歌や俳句を多く残しているそうです。    
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南面窟

鎌倉の安国論寺境内奥の裏山の山腹にある洞窟。念仏勢力の激しい反発を招いた日蓮上人は、文応元年(1260年)8月27日の夜、松葉ヶ谷の草庵が多数の念仏者によって襲撃されました。その際、白猿に導かれて最初に避難した場所とされるのがこの洞窟とのことです。   
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日郎上人荼毘所

日朗上人は鎌倉時代の日蓮宗・法華宗の僧で、日蓮六老僧の一人。出家剃髪した場所で荼毘に伏して欲しいとの日朗上人の遺言により、元応2年(1320年)安国論寺にて荼毘に付されました。   
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安国論寺

長勝寺、妙法寺と並び、日蓮が鎌倉で布教した際の拠点となったお寺。境内には日蓮が立正安国論を執筆した岩穴(法窟)というのがありますが、その法窟の側に、弟子の日朗が安国論窟寺を建てたのが始まりとのことです。
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長勝寺

鎌倉市にある日蓮宗の寺院で、山号は石井山。建長5年(1253年)に、日蓮に帰依した石井長勝が自邸に法華堂を立て日蓮に寄進したのが始まりと伝えられています。   
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石清水井

鎌倉市材木座の元八幡(由比若宮)のすぐ近くにある井戸。由比若宮は京の石清水八幡宮(石清水井が名の由来)を勧請したもので、おそらく京の石清水八幡宮にある石清水井にちなんだ名称だと思われます。   
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由比若宮(元八幡)

康平6年(1063年)に、源頼義が石清水八幡宮を勧請してできた神社で、鶴岡八幡宮はこの神社をここから移動させたものです。境内には、源義家が旗を立てたといわれる「旗立の松」も残っています。    
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旗立の松(由比若宮)

前九年の役が終息してから21年後、後三年の役が始まりました。奥州に向かう源義家が鎌倉に立ち寄り、由比若宮に戦勝を祈願しましたが、その際、源義家が旗を立てたとされる松の幹が由比若宮の境内に残されています。
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琵琶橋

鎌倉若宮大路の下馬交差点のすぐ近くにある橋で、鎌倉十橋の一つ。橋の名の由来は、昔、この道筋に弁財天の祠があり、そのために道が琵琶のように曲がっていたという説と、弁財天の琵琶からとする説と、があるそうです。    
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鎌倉駅旧駅舎時計台

鎌倉駅は明治22年(1889年)の開業。大正5年(1916年)に2代目駅舎が落成して時計塔がつくられました。昭和59年(1984年)に国鉄の駅舎が現在のものに改築された際に、この2代目駅舎時計塔が駅西広場へ移設され、現在は、鎌倉駅西口広場の待ち合わせ場所のよい目印となっています。    
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神奈川県立大船フラワーセンター

鎌倉市岡本にある総面積6万3900平方メートルの植物園で、昭和42年 (1967年)に神奈川県農業試験場の跡地に開設されました。命名権制に より、「日比谷花壇大船フラワーセンター」の愛称があります。  
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大銀杏

鎌倉の鶴岡八幡宮の大石段の脇に立っていた大きな銀杏の木。3代将軍 源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説から「隠れ銀杏」とも呼ばれ ていましたが、平成22年3月10日未明、倒れてしまいました。  
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柳原神池

鎌倉の鶴岡八幡宮の境内、舞殿から白旗神社へ向かう途中にある池。 この池は、蛍放生祭・鈴虫放生祭の祭場になるそうで、また、紅葉の季 節には見事な景観になります。  
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