テーマ:岡山

舟橋(備中高松城跡)

備中高松城にあった舟を並べて橋としたもの。長さは約64mあり、城内より 進攻の際はこれを利用し、退く時は撤去出来る仕組で城の西北の押出式の 橋と共に大きく防備の役を果たしていたとのことです。  
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こうやぶ遺跡

岡山県岡山市の備中高松城跡から程近い清水宗治公の自刃之跡近くにあ る「こうやぶ遺跡」。家臣の命を助けるために切腹した清水宗治のあとを追い、 何人かの家臣がこの場所で互いに刺し違えて殉死したと伝えられています。  
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清水宗治公自刃之阯

本能寺での信長落命を知った高松城攻城中の秀吉は、毛利方へ講和を提 示。その条件の一つが城主清水宗治の自刃でした。清水宗治は水上の小舟 の上で見事に切腹し、秀吉は宗治を武士の鑑として賞賛したとのことです。  
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備中高松城跡

戦国時代、備中国高松(現・岡山県岡山市北区高松)にあった城。羽柴秀吉 がこの城を攻めた時、低湿地にあったこの城を堰堤で囲む土木工事により、 水没させ落城させました。世に言う「高松城水攻め」が行われた城です。  
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清水宗治胴塚

天正10年(1582年)6月4日、水上の小舟の上で切腹した清水宗治の 首のない胴体部分の遺体は高松城の本丸に戻ってきました。遺体を迎 えた家臣たちは、その遺体をこの地に手厚く葬ったとのことです。  
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清水宗治首塚

岡山県岡山市の備中高松城址公園にある清水宗治の首塚。水上の小舟の 上で切腹した清水宗治の首は、秀吉の本陣で首実検された後、その近くに に埋葬されたそうですが、明治期に高松城本丸跡に移されたとのことです。  
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清水宗治辞世の句

清水宗治は水上に舟を漕ぎ出し、ひとさし舞ったのち潔く切腹して果てました。    浮世をば 今こそ渡れ 武士の名を高松の 苔に残して その作法は見事で、秀吉も「宗治は武士の鑑であった」と絶賛したといいます。  
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高松城址公園資料館

岡山県岡山市の備中高松城址公園にある資料館。備中高松城は秀吉に よる水攻めで知られていますが、この資料館には、水攻めの古図や境目 七城といった高松城水攻めに関連するする資料が展示収蔵されています。  
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備中松山城

岡山県高梁市にある山城で、別名は高梁城。城跡が国の史跡、江戸時代に 建造された天守や二重櫓等が重要文化財に指定されていて、また標高430 mの臥牛山山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にあります。  
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