テーマ:福島

河井継之助墓(只見)

現在の南会津郡只見町で落命した河井継之助は、この地で荼毘に附され、 遺骨は一度は会津に渡り、その後明治になってから長岡に改葬されました。 只見の墓は、荼毘で残った遺灰と遺骨を村人たちが葬ったものだそうです。  
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河井継之助終焉の地

河井継之助は、長岡城下の戦闘で重傷を負い、再起を図るため、八十里峠 を通って会津へと向かいましたが、ついに塩沢村(現・福島県只見町)で落命。 慶応4年8月16日(1868年10月1日)のこと、 享年42歳でした。  
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ガトリング砲

アメリカの発明家ガトリングの開発した最初期の機関銃。 日本では越後長岡藩の河井継之助が北越戦争で初めて使用しました。 長岡市と只見町の両方の河井継之助記念館に複製品が展示されています。  
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河井継之助像(只見)

河井継之助は越後長岡藩の家老上席、軍事総督で、戊辰戦争にあたっては 武装中立論を主張したが、結果は自分の意に反して、北越戊辰戦争を主導。 戦場で重傷を負い会津へ逃れる途中、現在の南会津郡只見町でついに落命。  
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河井継之助終焉の間

河井継之助は、長岡城下で被弾し重傷を負い、会津へと運ばれて行きました。 しかし、現在の南会津郡只見町まで来たときに、傷が悪化してついに落命。 継之助終焉の間が、河井継之助記念館内に移築保存されています。  
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河井継之助記念館(只見)

河井継之助の最期の地である、現在の南会津郡只見町にある記念館。 長岡城下での新政府軍との戦闘で被弾し重傷を負った河井継之助は、 再起を図るため会津を目指しましたが、ついにこの地で落命しました。  
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如来堂

会津若松市の鶴ヶ城から北西、阿賀川の近くにある如来堂。 明治元年(1868年)年9月4日、会津城下に来襲した新政府軍は、如来堂に 立てこもる新選組に激しい攻撃を加え、新選組は全滅したと伝えられました。  
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中野竹子殉節之地

明治元年(1868年)8月25日、黒髪を断ち、薙刀をかかえて衝鋒隊に 加わった中野竹子は、城下にせまる長州・大垣藩の兵士とここで遭遇。 激戦の中、敵の銃撃に会い、壮烈な戦死をとげました。 享年22歳。  
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中野竹子像

中野竹子は、幕末期の会津藩の女性で、容姿端麗で聡明、 薙刀は免許皆伝ほどの腕前であり、男勝りの女丈夫として知られていました。 会津戦争に際して、自主的に婦女隊として戦い、壮絶な戦死をしました。  
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清水屋旅館跡

会津若松市の七日町通り、大東銀行会津支店がある場所が、清水屋旅館跡。 吉田松陰が東北紀行の途中に、また戊辰戦争の際には新選組副長土方歳三 が宿泊した旅館で、明治には清水屋事件が起きている場所でもあります。  
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上杉謙信公仮廟所跡

会津若松城内の西南の一画にある、上杉謙信公の仮廟所跡。 慶長3年(1598年)、上杉景勝は会津移封にともない、 上杉謙信公の墓所も会津に移したとのことです。  
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荒城の月碑

会津若松市の会津若松城本丸月見櫓跡の石垣下にある歌碑。 「荒城」のモデルとしては、この他に、仙台市の仙台城(青葉城) 大分県竹田市の豊後竹田城(岡城)等もあるようです。  
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会津若松城

会津若松市ある城で、鶴ヶ城、あるいは単に会津城とも呼ばれています。 保科正之が23万石で入封以来、明治維新まで会津松平家の居城であり、 戊辰戦争の際には、1か月にも及ぶ激戦の舞台ともなりました。  
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芦ノ牧温泉

福島県会津若松市にある温泉で、阿賀川を見下ろす高台に温泉街が広がり、 「会津芦ノ牧温泉」と呼ばれることも多いとのことです。 開湯伝説では行基による発見ですが、弘法大師による発見説もあるそうです。  
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戸の口堰洞穴

天保年間に会津平野の灌漑用水として猪苗代湖より通水した洞穴。 戊辰戦争の折、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため、戸の口原から 飯盛山に向かう途中、この洞穴を通ったとのことです。  
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白虎隊の墓

福島県会津若松市の飯盛山の山中にある、白虎隊士の墓。 戊辰戦争後、白虎隊士の埋葬は許可されず、密かに妙国寺に仮埋葬され ましたが、明治2年にようやく飯盛山の中腹に合葬がゆるされたとのことです。  
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白虎隊自刃の地

若松城下に迫りつつある新政府軍を迎え撃つため、白虎隊二番隊は戸ノ口原 に出陣しましたが、決定的打撃を受けて潰走し、飯盛山へと落ち延びました。 飯盛山から城下の火災を目にした総勢20名は、ここで自刃を決行しました。  
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飯沼貞雄墓

会津若松市の飯盛山にある、白虎隊の生存者、飯沼貞吉の墓。 年齢を偽って白虎隊に参加し、飯盛山で他の十九士と共に自刃に及んだが、 死に切れず命を救われ、維新後は貞雄と改名し、77歳で生涯を終えました。  
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松平容保弔歌の碑

会津若松市の飯盛山にある、松平容保が白虎隊に捧げた弔歌の碑。  「幾人の涙は石にそそぐともその名は世々に朽じとぞ思う」 源容保 松平容保は、会津戦争の時の会津藩主でした。  
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戸ノ口原古戦場

慶応4年 (1868年)8月22日、新政府軍は母成峠の藩境を突破し、 「戸ノ口十六橋」を占拠して、会津城下への侵入の動きを見せました。 この地で、これを迎え撃とうとした白虎隊も苦戦し、撤退を余儀なくされました。  
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十六橋

猪苗代町と会津若松市に跨る日橋川に架かる橋で、旧若松街道が通る橋。 名前の由来は、弘法大師が16の塚を作り橋を作ったとのことからだそうです。 慶応4年(1868年)に、会津戦争「十六橋の戦い」の舞台となった橋です。  
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旧二本松街道並木道

楊枝峠経由の若松城下と本宮宿を結ぶ街道の会津領内部分が二本松街道。 明治25年の新県道の開通により、旧街道は衰退の一途をたどりましたが、 この付近の松並木は、街道跡として良好な状態を残しています。  
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三忠碑

天正17年(1589年)に起こった摺上原の戦いで、主君の危急を救うために 戦死した、蘆名氏の家臣三名(金上盛備・佐瀬種常・佐瀬常雄)の忠誠心を 後世に伝えるために、古戦場に建てられた石碑です。  
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猪苗代町むかし体験館

福島県猪苗代町の亀ヶ城公園内にある、むかしを体験する施設。文化8年 (1811年)建築の囲炉裏のある茅葺屋根の直屋を利用して、地元に伝わる 民話の伝承などに利用されているとのことです。  
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猪苗代城跡

会津の猪苗代にある城跡で、鶴ヶ城に対して亀ヶ城とも呼ばれていた城の跡。 江戸幕府の一国一城令発布の際もその例外として存続が認められ、藩主の 保科正之の死後はその墓所の守護という重要な役目も担ったとのことです。  
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母成峠古戦場

慶応4年(1868年)8月21日に行われた、母成峠の戦いの古戦場。 会津藩境の母成峠を守る旧幕府軍800が、新政府軍2,200と 戦いましたが、兵力及び兵器の差で勝てず、旧幕府軍は敗走しました。  
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内藤四郎兵衛戦死之地碑

再建された二本松城箕輪門の手前に建つ、内藤四郎兵衛戦死之地の碑。 内藤四郎兵衛は、戊辰戦争時の二本松城の大城代で、落城の際、 城門を開き敵軍に切り込んで獅子奮迅の末、壮絶な最期を遂げたそうです。  
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二本松少年隊像

二本松少年隊は、戊辰戦争に出陣した二本松藩の少年兵部隊のこと。 本来は、13歳以下は出陣不可であったが、危急の措置として12歳の 少年も出陣して戦死し、戊辰戦争における悲劇の一つとして知られています。  
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丹羽和左衛門・安部井又之丞自尽の碑

戊辰戦争で、慶応4年(1868年)の7月に、二本松城は落城しました。 その際、丹羽和左衛門(城代)と安部井又之丞(勘定奉行)は共に自尽。 両人の供養碑が、天守台の近くに建てられています。  
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二本松城

二本松城は、福島県二本松市郭内にある城で、日本100名城の一つ。 戊辰戦争時には、二本松藩と明治新政府軍との戦いの舞台ともなり、 落城に際し、動員された少年兵が犠牲となったことで知られています。  
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