テーマ:東京

扇塚と芭蕉句碑

浅草寺近くの弁天堂の下に、扇塚と芭蕉句碑が並んで建てられています。扇塚は日本舞踊で使用し古くなり、使えなくなった扇子に感謝し供養する処。また「くわんのんの いらか見やりつ 花の雲」の句が刻まれた芭蕉句碑は、元は浅草寺本堂の北西の銭塚不動の近くにありましたが戦後この地に移建されたそうです。
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浅草寺

東京都台東区浅草にある都内最古のお寺。観音菩薩像を本尊にしていることから浅草の観音様として親しまれています。雷門の大提灯、雷門から本堂をつなぐ仲見世などが広く知られいます。
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仲見世(浅草寺)

元禄、享保(1688? 1735年)の頃、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられたのが始まりとのこと。約250ⅿの両側に合計89の店が並んでいます。
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雷門

東京都台東区にある浅草寺の朱塗りの山門。門に向かって右側に風神、左側に雷神が配されていて正式名称は風雷神門。門の中央には重さ約700Kgの提灯が吊りさげられていて、浅草のランドマークとなっています。
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代々木

明治神宮参道に立つ「代々木」の地名の由来となったとされている樹木。江戸時代に彦根藩井伊家下屋敷であった当地には代々樅の巨木があり、「代々大きな木があった」という意味で「代々木」との地名が発祥したそうです。
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明治神宮

東京都渋谷区に鎮座し、明治天皇と昭憲皇太后をご祭神とする神社。境内には多くの樹木が育ち神宮の森とも呼ばれ、都心部の貴重な緑地として親しまれています。また、初詣では例年日本一の参拝者数を誇っています。
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明治神宮奉納全国氷彫刻展

全日本氷彫創美会の主催で毎年この時期に開催される氷の彫刻展。氷彫刻の普及とその従事者の技術向上、次世代の育成と継承を目的に開催されるもので、全国の調理人が集まり氷の彫刻の腕を競い、初詣で明治神宮を訪れる人々の目を楽しませてくれます。
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大鳥居(明治神宮)

明治神宮の二の鳥居は、高さが12mあり、日本で一番大きい木造の明神鳥居だそうです。初代の大鳥居が昭和41年(1966年)に落雷により破損したため、昭和50年(1975年)に現在の鳥居が建立されたとのことです。2代目の大鳥居も初代同様、台湾の阿里山連峰の大檜が用いられているとのことです。
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柘榴坂

東京都港区高輪三丁目と四丁目の境界にある坂。江戸時代には北側が薩摩藩島津家下屋敷、南側が久留米藩有馬家下屋敷と両側を広大な屋敷に挟まれていました。また、もとはカギ形に折れ曲がる坂でしたが、明治時代に直進するように作り変えられ、石榴新坂とも呼ばれていたとのことです。
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江戸の殉教者顕彰碑

東京都港区高輪、品川駅から歩き柘榴坂を上り切った処にあるカトリック高輪教会の敷地内に建てられている江戸の大殉教の殉教者の顕彰碑。キリシタン弾圧によって殉教した約2千人の信者を称えて建てられたとのことです。
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物流博物館

公益財団法人・利用運送振興会が運営する東京都港区高輪にある物流を専門に扱う日本唯一の博物館。港湾と空港、貨物列車、トラックなどを組み合わせた大型ジオラマ、江戸時代の街道宿場町にあった問屋場の模型、飛脚の衣装、木炭自動車用のガス発生装置などのほか、資料・映像が多数展示されています。
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巌谷小波住居跡

巖谷小波は明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。明治44年(1911年)に作った文部省唱歌「ふじの山」の作詞者としても知られ、「一寸法師」の作詞も手がけました。また、金色夜叉の主人公・間貫一のモデルは巌谷小波だとする説もあるそうです。
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食とくらしの小さな博物館

東京都港区の味の素グループ高輪研修センター内にある食と暮らしに関する博物館。「味の素」の創業から今日までの歴史を伝える展示を中心に、食生活やライフスタイルの変化などに関わる懐かしい数々が展示されています。
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ゆうれい地蔵

江戸の昔、近くの飴屋に毎晩雨の日も赤ん坊を連れた若い女性が飴を買いにきていましたが、この寺の住職がこの地蔵を毎日供養すると、母子は現れなくなったとのことです。この地蔵は死んだ母親に代わって子どもを育てたという言い伝えがあり「子安地蔵」として東京都港区高輪の光福寺の境内に祀られています。
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二本榎の碑

江戸時代にこの付近のある寺に大木の榎が二本あって、東海道を旅する旅人のよい目印になっていたそうです。それがそのまま「二本榎」という地名となって続きましたが、その後、町名変更等があっても、この「二本榎」の町名をいつまでも忘れないように石碑を立てたとのことです。
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興意親王墓

興意親王は正親町天皇の孫にあたり誠仁親王の第5王子となる安土桃山・江戸前期の皇族。慶長19年(1614年)、豊臣氏が建立した方広寺大仏殿の棟札銘文に書くべき大工頭の名を入れなかったという江戸幕府の嫌疑を受け蟄居。元和6年(1620年)9月、江戸へ下向し江戸滞在中に急死したとのことです。
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旧細川邸のシイ

東京都港区高輪の旧熊本藩細川家下屋敷(大石内蔵助他16名が切腹をした処)に植えられていて、推定樹齢は300年以上で、現在も当時のまま残っているスダジイ。樹高は10.8m、幹周りは8.13mあり、東京都指定天然記念物になっています。
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大石良雄外十六人忠烈の跡

吉良邸討ち入り後、大石内蔵助他計17名は肥後熊本藩主細川綱利の屋敷が預けられ、元禄16年(1703年)2月4日、同屋敷で切腹しました。港区の都営高輪アパート内に切腹の跡とされる場所が残されています。
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大石良雄等自刃ノ跡

吉良邸討ち入りに成功した赤穂義士46名は4つの大名家に分けてお預けとなり、大石良雄は肥後熊本藩主細川綱利の屋敷に預けられました。そして、元禄16年(1703年)2月4日、4大名家に切腹の命令がもたらされました。
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赤穂義士墓地

元禄16年(1703年)2月4日に切腹した赤穂義士46名のうち45名が直ちに泉岳寺に埋葬されました。その後、間新六、寺坂吉右衛門、萱野三平の供養墓が建てられ、合計で48の墓碑が主君浅野内匠頭の墓の傍らに並んでいます。
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大石内蔵助の墓

大石良雄、通称大石内蔵助は播磨国赤穂藩の筆頭家老。赤穂浪士を率いて元禄15年(1702年)12月15日未明、吉良邸討ち入りを果たし、主君の仇を討ちました。そして、元禄16年(1703年)2月4日に細川邸で切腹し、主君と同じ高輪の泉岳寺に葬られました。
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長矩公夫人之墓

浅野内匠頭長矩夫人の名は阿久里といい、長矩との間に子には恵まれずに長矩の弟浅野長広(大学)を養子としていました。長矩の殿中抜刀の罪により赤穂藩が改易となると、阿久里は赤坂にある実家の三次浅野家下屋敷に引き取られ落飾して瑤泉院と称し夫の菩提を弔いました。墓は夫と同じく泉岳寺にあります。
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浅野内匠頭長矩の墓

浅野内匠頭長矩は播州赤穂藩藩主。元禄14年(1701年)3月14日、 殿中松の廊下で吉良上野介に突然斬りかかり即日切腹。ここから赤穂義士の物語が始まりました。浅野内匠頭の墓は浅野家と所縁のあった東京芝高輪の泉岳寺にあります。
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首洗井戸(泉岳寺)

元禄15年12月14日(1703年1月30日)、赤穂47士は吉良邸に討ち入り吉良上野介の首をあげることに成功しました。47士はその首を泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に供えましたが、その時に、この井戸で吉良上野介の首を洗ったと伝わっています。
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血染の梅、血染の石

元禄14年(1701年)3月14日、 江戸城内松の廊下で吉良上野介に突然斬りかかった浅野内匠頭は即日切腹となりました。浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石が泉岳寺の境内にあります。
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大石内蔵助像(泉岳寺)

大石内蔵助良雄は播磨国赤穂藩の筆頭家老で赤穂事件の中心人物。赤穂事件は演劇や映画の世界では「忠臣蔵」とも呼ばれていますが、「忠臣蔵」という題名の由来は、蔵一杯の忠臣という意味や、大石内蔵助の「蔵」にかけているなどの説があるそうです。
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泉岳寺

東京都港区高輪にある曹洞宗のお寺で、赤穂義士の墓所として有名。江戸時代初期には外桜田にありましたが、火災で焼失したために高輪に移転したそうです。その高輪への移転の際、助力した大名の一つに浅野家があったとのことです。
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高輪海岸の石垣石

江戸時代に高輪海岸に沿って造られた石垣に用いられていたもので、平成7年(1995年)に高輪2丁目20番(泉岳寺駅の東側周辺)の遺跡発掘調査で出土したものがここに展示されています。発掘調査では3段の石積みが確認されましたが、3段目から下の石垣は現地でそのまま保存されているそうです。
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高輪ゲートウェイ駅

東京都港区にあるJR東日本の駅。令和2年(2020年)3月14日の暫定開業、令和6年(2024年)度に本開業予定の、山手線では昭和46年(1971年)開業の西日暮里駅以来の新駅。駅名の由来は、投票1位の「高輪」と周辺の再開発コンセプトの「ゲートウェイ」を組み合わせたものだそうです。
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高輪大木戸跡

宝永7年(1710年)に東海道から江戸府内の入口として、また南の出入口として設けられた大木戸の跡。昭和3年(1928年)に国の史跡に指定されています。また、幕末期には伊能忠敬がここを全国測量の基点としたとされています。
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