三木武吉像

愛媛県(現香川県)高松市出身の大正から戦後にかけて活躍した政治家。鳩山一郎の盟友で、自由民主党結党による保守合同を成し遂げた最大の功労者。「ヤジ将軍」「策士」「政界の大狸」などの異名を取りました。
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高松城跡

天正15年(1587年)讃岐の領主となった生駒親正によって「野原」と呼ばれた港町に築かれた城。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものとのこと。高松城は別名玉藻城とも 呼ばれ、現在は玉藻城公園として整備されています。
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讃岐丸 錨

明治43年(1910年)の開設から昭和63年(1988年)の運行終了までの78年間、岡山県玉野市の宇野駅と香川県高松市の高松駅との間で運航されていたのが宇高連絡船。その宇高連絡船で就航していた讃岐丸の錨が高松港の直ぐ近くに展示されています。
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神谷神社

香川県の坂出市東部、五色台の一峰・白峰山の麓に鎮座する神社。 社伝によると、弘仁3年(812年)に空海の叔父にあたる阿刀大足が社殿を造営し、相殿に春日四神を勧進したのが始まりとのこと。本殿は造営年代が明らかな流造社殿の中では最古のもので、国宝に指定されています。    
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高家神社(血の宮)

香川県坂出市高屋町に鎮座する神社。白峰山に崇徳上皇の御遺体を運ぶ途中、棺をおろして休めたそうですが、その時に、棺をおいた六角の石に少し血がこぼれたと伝わっています。葬祭後、里の人は、当社に崇徳上皇を合祀し、六角の石も当社に納めました。それが当社が「血の宮」と言われている理由とのことです。
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御棺台石

香川県坂出市に鎮座する高家神社の境内にある六角形の石。崇徳上皇の御棺を八十場から白峯山へ御葬送の途中、高屋付近で天がにわかにかき曇り風雨雷鳴があったとのこと。葬送の列は、御棺をしばらくこの地に安置しましたが、この時、御棺を休めたこの台石に血が流れ出たと伝わっています。    
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十三重塔

香川県坂出市の白峰寺に至る150m程手前の参道脇に立つ2基の十三重塔。源頼朝が崇徳天皇菩提の為に建てた供養塔と伝えられていて、東塔は総高5.95mで弘安元年の刻銘があり花崗岩製で、西塔は総高5.62mで元亨4年の刻銘があり凝灰岩製とのことです。
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頓証寺殿

坂出市の白峰寺境内にある崇徳上皇の御廟所で、鼓岡の御所(木の丸殿)を移築したものと伝わっています。崇徳上皇崩御後、度々都で変事が続いたため、上皇の霊を祀る御廟所が建てられ、速やかに迷いを断ち悟りを開く供養を行うところから「頓証寺」と追号されたそうです。
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白峰寺

香川県坂出市の五色台の白峰中腹の標高280m付近にあるお寺で、四国八十八箇所霊場の第81番札所。弘法大師が弘仁6年(815年)、白峰山頂に如意宝珠を埋めて、仏に供える水を汲む閼伽井を掘り、衆生救済の請願をし、後の貞観2年(860年)、智証大師が仏堂を創建したのが始まりとのことです。
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白峰御陵

保元の乱で敗れ讃岐の地に配流となった崇徳上皇は、8年後の長寛2年(1164年)8月6日に46歳で鼓岡で崩御されました。上皇のご遺体は白峯山稚児ヶ嶽の頂上で荼毘に付され御陵が築かれました。この御陵は四国で唯一の天皇陵です。
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松山の津

保元元年(1156年)7月、保元の乱に敗れ、讃岐に配流となったた崇徳上皇は、最初に松山の津というところに着船したと伝えられていて、それがこの地とのこと。ここは現在は海岸線から1.8km程の距離になっていますが、当時は良港で、海岸から府中の国府に至る重要な場所であったそうです。
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三十六古戦場

もとは松ヶ浦海岸と考えられるところで、白峰古戦場とも呼ばれています。正平17年(1362年)、南朝方の細川清氏は、白峰山麓高屋に兵を進めて北朝方の従兄弟でもある細川頼之の宇多津に対陣しました。しかし、不意をつかれた清氏は城を出て逆襲し、この地で36名の兵と共に戦死したと伝わっています。    
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雲井御所跡

崇徳上皇が国司庁の近くの鼓岡に移るまでの約3年間を過ごされた場所。上皇が都を懐かしがられ「ここもまた あらぬ雲井と なりにけり 空行く月の 影にまかせて」と詠まれた歌に因み雲井御所と呼ばれています。なお、この歌は長命寺の柱に書かれたとのことです。
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長命寺跡

讃岐に配流となった崇徳上皇は、讃岐国府の役人であった綾高遠の館を改修して仮の御所とされたそうです。しかし、上皇の仮御所として自邸では不敬があると考えた綾高遠は上皇をすぐ傍の長命寺に移されたと伝えられています。長命寺はその当時、450m四方の境内地もつ大きなお寺だったそうです。
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崇徳天皇姫塚

崇徳上皇が讃岐に配流中、上皇を気付かった綾高遠は、自らの娘である綾の局に上皇の身の回りの世話をするように命じたと伝えられています。やがて、上皇と綾の局との間に皇子と皇女が誕生しましたが、幼くして亡くなられたと伝えられます。この姫塚はその皇女の墓であるとされています。   
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国府印鑰明神遺跡

国府とは奈良時代頃に全国の国ごとに置かれた役所のことで、香川県は当時は讃岐の国と呼ばれ国府は讃岐国府と呼ばれていました。この地は讃岐国府の印(国印)と鑰(鍵)の保管施設があったとと考えられている場所です。
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椀塚

崇徳上皇は讃岐に配流となり、鼓岡の木ノ丸殿で6年間過ごされたのち、長寛2年(1164年)に崩御されました。木ノ丸殿跡から程近い所に上皇がご使用になっていた食器類を埋めたと伝わる塚があり、椀塚と呼ばれています。
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菊塚

崇徳上皇が鼓岡木ノ丸御所で過ごされていたときに、国府役人の綾高遠の娘である綾の局との間に皇子と皇女が誕生しました。上皇はこの皇子を顕末と名付けられ、菊の紋をつけて綾高遠に賜り、綾家の跡継ぎにされたと伝えられています。この皇子の墓が府中町鼓岡の北にあり、菊塚の名称で呼ばれています。   
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讃岐国府跡

香川県坂出市府中町のかつて讃岐国の国府(国庁)があったとされている所。讃岐国司として任命されこの地を訪れた貴族の中には、学問の神様として知られる菅原道真もいて、道真は当地を詠んだ多くの漢詩を残したほか、旱魃に際しては城山で雨請いを行ったことが知られているそうです。   
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擬古堂

香川県坂出市の鼓岡神社は、崇徳上皇が崩御するまでの6年間を過ごされた木の丸殿のあった場所です。その鼓岡神社の境内にあるこの建物は、大正2年(1913年)崇徳天皇750年大祭を行った際の記念建造物で、木の丸殿を偲ぶために建立されたものとのことです。
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