丸木舟(真山神社)

一本の杉丸太から作られる「えぐり舟」とも呼ばれる丸木舟は、岩に当たっても壊れにくく安定性にも優れていることから、岩礁の多い男鹿をはじめ日本海沿岸各地で広く使われていました。この丸木舟はこの地方最後の船大工が引退するときに、神社が神木の杉で丸木舟を作るように依頼して出来たものとのことです。
コメント:0

続きを読むread more

万体仏

秋田県男鹿市北浦にある三間四方の小さな堂。堂内には床から四面の壁、そして天井に至るまでびっしりと杉の木彫りの約12000体の地蔵菩薩像が並べられています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

仙台城大広間遺構

仙台城本丸大広間は本丸御殿の中心となる建物で、その広さから「千畳敷」とも称されたといわれています。内部には、伊達政宗をはじめとする歴代藩主の座する「上段の間」をはじめ、「孔雀の間」「檜の間」など多くの部屋が配置され、各間は豪華な障壁画や飾金具で装飾されていたそうです。
コメント:0

続きを読むread more

土井晩翠 歌碑

土井晩翠は現在の宮城県仙台市青葉区出身の詩人・英文学者で、滝廉太郎の作曲による「荒城の月」の作詞者としても知られています。土井晩翠が詞を構想したとされる宮城県仙台市の青葉城址に「荒城の月」の歌碑と土井晩翠の胸像があります。
コメント:0

続きを読むread more

宮城県護国神社

宮城県仙台市にある青葉山の仙台城(青葉城)本丸跡に創建された神社。明治維新以降の諸事変、戦役における宮城県関係あるいは縁故のある戦死・殉難者、5万6千余柱を祀っています。仙台空襲で焼失した社殿は、昭和33年(1958年)に伊勢神宮別宮「風宮」の旧社殿を移築して復興したそうです。
コメント:0

続きを読むread more

昭忠塔

仙台城跡にあるこの塔は、明治10年の西南の役、明治27~28年の日清戦争などの内外の戦争において戦死した東北各地の将兵の死を悼み、慰霊のために明治35年に建てられたもの。塔の頂上にあった鵄(トビ)は東日本大震災の時に落下してしまいましたが、その後修復され、現在は塔の前に設置さています。
コメント:0

続きを読むread more

伊達政宗配像

仙台城本丸跡にある伊達政宗の騎馬像。昭和10年(1935年)に小室達作の初代伊達政宗騎馬像が建立されましたが、その像は大東亜戦争時に金属類回収令により供出されました。しかし、昭和39年(1964年)10月9日、初代像の石膏原型を用いて2代目の伊達政宗騎馬像が仙台城本丸跡に再建されました。
コメント:0

続きを読むread more

仙台駅

宮城県仙台市青葉区中央一丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)、仙台市交通局(仙台市地下鉄)の駅で、東北地方最大のターミナル駅。仙台駅周辺地区は、国土交通省の「都市景観100選」に選ばれています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

不帰の滝

宮城県の白石から蔵王に向かう蔵王エコーラインの駒草平展望台から見える滝。お釜からの水が流れ落ちる落差が97.5m、幅が14mもある大きな滝です。滝の名の由来は、この付近に鬼ババが住んでいて近づくと帰ってこられなくなる、あまりに見事で帰るのを忘れる程の滝である、などの説があるそうです。
コメント:0

続きを読むread more

二代目横浜駅遺構

鉄道開業当時の横浜駅は現在の桜木町駅でしたが、東海道本線と外れていたために、この地(横浜市営地下鉄高島町駅の少し北側)に二代目横浜駅が大正3年(1914年)に開業しました。しかし、関東大震災で駅舎が倒壊したために、横浜駅は昭和3年(1928年)に現在地に移転しました。
コメント:0

続きを読むread more

鉄道湧水

横浜市西区の掃部山公園の東側の崖の下から湧き出ている、一見排水とも見える湧水。掃部山公園は明治初期には鉄道技師の官舎があった処で当時は鉄道山と呼ばれていたそうで、その鉄道山の地下から湧き出てきた水は蒸気機関車の給水に利用されていたとのことです。
コメント:0

続きを読むread more

政所跡

政所は、親王、三位以上の公家の家政を担当する機関。鎌倉幕府では源頼朝が従二位へ昇格したことにより、公文所が政所へと改称されました。鶴岡八幡宮三の鳥居の東側の建物の塀にプレートが張り付けてあります。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

鎌倉宮

明治2年(1869年)、明治天皇の命により造営された神社。祭神は、建武の中興に功績の大きかった大塔宮護良親王。大塔宮護良親王は、この地にあった東光寺の牢で殺害されました。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

絵柄天神社

菅原道真を祭神とし、大宰府天満宮、北野天満宮と並ぶ三天神社の一つ。鎌倉に幕府を開いた源頼朝が鬼門の守護神と仰ぎ、改めて社殿を造。学問の神様として、受験シーズンには沢山の参拝者で賑わいます。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

北条義時墓跡

鎌倉の源頼朝の墓から程近く、大江広元などの墓の下にある広場の部分。ここにはかつて、鎌倉幕府2代執権北条義時の墓があった法華堂跡とされているところで、1辺が8.4mの正方形の形をした「三間堂」があったそうです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

法華堂跡

鎌倉市西御門にある法華堂は、源頼朝が聖観音像を本尊として建立した持仏堂。源頼朝は死後、持仏堂であった法華堂に葬られたと云われています。宝治合戦で、三浦泰村ら一族500名が自害したところでもあります。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

源頼朝の墓

源頼朝の墓があるのは、大蔵御所があったとされるところの北側の斜面。元々は、法華堂跡にあったものが島津家により現在地に移されたそうです。石塔には島津家のものである「丸に十の字」の紋が確認されます。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

鶴岡八幡宮

宇佐八幡、石清水八幡宮、筥箱崎宮と並ぶ代表的な八幡宮で、源頼朝が鎌倉に本拠を定めたとき、鶴岡若宮をこの地に移したのが始まり。鎌倉武士の守護神として崇拝され、 境内は国の史跡に指定されています。   
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

本覚寺

鎌倉にある日蓮宗のお寺、妙厳山本覚寺。日蓮がこの山門付近にあった夷堂を辻説法の拠点としていたとのこと。身延山から日蓮の遺骨を分骨したため、東身延とも呼ばれています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

蛇苦止堂

建仁3年(1203年)の比企の乱で、比企の娘の若狭局は井戸に投身自殺しました。その後、文応元年(1260年)、北条政村の娘が若狭局の霊に祟られたので、政村が若狭局を蛇苦止明神として、この蛇苦止堂に祀ったと伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more