佐藤継信墓

佐藤継信は、治承4年(1180年)、奥州にいた源義経が挙兵した源頼朝の陣に赴く際、藤原秀衡の命により弟・佐藤忠信と共に義経に随行しました。そして、義経の郎党として平家追討軍に加わったのち、屋島の戦いで義経の身代わりとなって討ち死にてしまいました。
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神櫛王墓

神櫛王は、「日本書紀」によれば、第12代景行天皇と妃の五十河媛との間に生まれた皇子で、「古事記」では、景行天皇と針間之伊那毘能大郎女との間に生まれた皇子とされています。伝説によると、讃岐入りして瀬戸内の悪魚退治を行い、同地に留まり仲哀天皇8年9月15日に125歳で薨去したとのことです。    
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佐藤継信墓

佐藤継信は寿永4年(1185年)2月の源平屋島合戦のとき、平家の武将能登守教経の強弓により大将義経の命危ういとみて、義経の矢面に立ち身代わりとなって討死しました。この墓は、寛永20年(1643年)に、初代高松藩主松平頼重公が、屋島寺へ続くこの遍路道の傍に建立したものだそうです。   
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安徳天皇社

寿永2年(1183年)、平宗盛は安徳天皇を奉じて一の谷から屋島に着ました。ここは檀の浦の入江にのぞみ、後ろに険しい屋島の峰、東に八栗の山をひかえ、戦には地の利を得たところであったので宗盛は、行宮を建て将士の陣営をつくりました。安徳天皇社のあたりが行宮跡であったといわれています。     
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菊王丸墓

屋島の合戦の際、平能登守教経は佐藤継信を射落とし、教経に仕えていた菊王丸は継信に駆け寄りその首を取ろう としました。しかし逆に、継信の弟忠信に射抜かれ、菊王丸はま もなく息たえたとのこと。これを悲しんだ教経はこの地に菊王丸を葬ったと伝わっています。     
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義経弓流し

源平屋島の合戦の際、遠浅の海岸だったこの場所で、両軍が入り交じり激戦を繰り広げている最中に、源義経が脇にはさんでいた弓を落としてしまった場所。義経は「源氏の大将は、こんな弱い弓を使っているのか」と平家に笑われないために、危険を承知で必死に落とした弓を拾ったそうです。
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船かくし

寿永2年(1183年)7月、源義仲に敗れた平氏は讃岐国屋島に本拠を置き、勢力の回復を図ろうとしました。そして平家は各所に船だまりを置き、海上からの源氏の攻撃に備えたと伝えられています。この浦は南の小山の陰になり、屋島の本営から見えないことから「船かくし」 の地名が残っているとのことです。          
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扇の的

源平屋島の合戦の際、夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。これを源氏方の那須与一が見事に射落としたという平家物語の名場面の場所です。駒立岩から約55mの距離です。    
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駒立岩

源平の屋島の合戦の際、那須与一はこの石上に馬を止めて、扇の的を射たといわれています。与一宗高は射術をよくするので、源義経は衆中から選出して扇の的を射させました。宗高は命を承り、見事扇の的を射て、味方だけでなく敵方平氏からも喝采をうけ、その名を後世に残しました。     
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景清錣引きの地

源平屋島の合戦の際、逃げる源氏の美尾屋十郎の兜を平家の悪七兵衛景清が熊手で引っかけ、強い腕の力で兜の錣を引きちぎったと伝わる場所。景清の剛勇さと十郎の首の強さをお互いに称賛したとのことです。
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祈り岩

この岩は源平合戦の時、那須与一宗高が扇の的を射ようとして、この岩に向かい「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明日光権現、宇都宮那須湯泉大明神、願わくはあの扇の真中射させ給えかし」と、神明の加護を祈ったと伝わっている岩です。
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洲崎寺

香川県高松市にある弘法大師により創建されたと伝わるお寺。源平合戦の際には負傷した源氏方の兵士がこの寺に運ばれ、源氏の本陣のあった義経の身代わりとなり戦死した佐藤継信は本堂の扉に乗せられ、瓜生ヶ丘まで運ばれたそうです。  
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義経弓流しの地

屋島の戦いの際、勝ちに乗じた源義経は海中に打ち入って戦ううち、脇下にはさめていた弓を海中に落とし、平家方の越中次郎兵衛盛嗣に熊手をかけられ海中に落ちそうになりましたが、なんとか弓を拾い上げたと伝わる場所です。  
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総門跡

一の谷の戦いに敗れた平家は讃岐国屋島(現在の香川県高松市)へ逃れて本拠を構えました。そして、平家は海辺の防衛に備えてここに総門を築いていたと伝わっています。
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射落畠

寿永4年(1185年)2月19日、屋島の戦いにおいて、佐藤継信が源義経の 身代わりとなり能登守平教経によって射落とされたと伝わる場所。佐藤継信 は源義経の四天王の一人とされた武将でした。  
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地蔵原の水辺

横浜市泉区の、相鉄線いずみ中央駅前を流れる和泉川の旧河川敷を利用した親水広場で、平成25年に改修工事を実施し、リニューアルオープン。桜の名所として知られ、毎年多くの人がお花見を楽しみ賑わっています。
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境川

東京都と神奈川県を流れる川で、河口付近では片瀬川とも呼ばれています。 川の名称は、この川が武蔵国と相模国の国境とされていたことに由来し、現 在でも上流部は、概ね東京都と神奈川県の都県境となっています。  
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日本ガソリンスタンド発祥の地碑

横浜駅の東口、ヨコハマプラザホテルの前に小さな石碑がたてられています。 この場所に横浜米油が、ガソリンスタンドを建てたのが日本最初のガソリンス タンドということで、昭和49年9月19日に碑が建てられたそうです。  
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山汐丸錨

山汐丸は就役後は日本陸軍の指揮下で運用される予定であった護衛空母 兼用仕様のタンカー。三菱重工業横浜船渠で竣工しましたが、その場所が 現在は横浜みなとみらいとなっていて、そこに錨が屋外展示されています。  
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