テーマ:茨城

結城城跡

永享12年(1440年)に起こった結城合戦の舞台となった城。南総里見 八犬伝は、里見義実が結城合戦で敗れて父親と別れ、安房に落ち延び るところから始まっています。  
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鷹見泉石生誕之地

鷹見泉石は江戸時代の蘭学者であり、下総国古河藩の家老だった人物。 泉石が職に就いた12歳から、60年間にもわたって自らの公務を中心に 書き留めた「鷹見泉石日記」は資料価値の高いことで知られています。  
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長谷観音(古河)

茨城県古河市にある真言宗豊山派のお寺で、明応2年(1493年)、 初代古河公方の足利成氏が古河城の鬼門除けとして、鎌倉の長谷寺から 十一面観世音菩薩立像を勧請し、堂舎を建立したことが起源とのことです。  
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古賀総合公園

茨城県古河市にある都市公園で、公園内には、古河公方足利氏の御所跡 (古河公方館跡)、御所沼、民家園(旧飛田家住宅・旧中山家住宅)、芝生の 広場(御所沼原等)、大賀ハスの蓮池、等があり市民に親しまれています。  
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足利義氏墓

足利義氏は第5代古河公方で、同名の足利義氏から数えて14代目の子孫。 父は第4代古河公方の足利晴氏でしたが、、母は北条氏綱の娘の芳春院、 正室は北条氏康の娘の浄光院殿で、後北条氏の影響を大きく受けました。  
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旧中山家住宅

古河市古河総合公園内にある、茅葺寄棟造直屋形式の大型農家建築。 江戸時代前期の延宝2年(1674年)頃の建造と推定されていて、昭和48年、 県の有形文化財に指定され、坂東市から現在地に移築されたとのことです。  
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古河公方館跡

古河公方館は、享徳の乱の際に、初代古河公方足利成氏により築かれたと 考えられている、茨木県古河市にあった中世の城館で、鴻巣御所・鴻巣館、 また、古河御所とも呼ばれ、現在は、古河総合公園として整備されています。  
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古河歴史博物館

茨城県古河市にある、古河城諏訪曲輪(出城)跡地に建てられている博物館。 1/350縮尺の精密な古河城下模型(江戸時代後期)も展示されており、 当時の城下町の町並みとともに、現存しない古河城の姿が再現されています。  
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諏訪曲輪跡(古河城)

古河城は、現在の茨城県古河市の渡良瀬川東岸にあった城で、南総里見 八犬伝にも、芳流閣として古河公方期の古河城が描写されているそうです。 古河歴史博物館が、古河城の曲輪の一つである諏訪曲輪跡地だそうです。  
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常陸国分寺

茨城県石岡市府中にある真言宗智山派のお寺で、奈良時代に聖武天皇の 詔により日本各地に建立された国分寺のうち、常陸国国分寺の後継寺院。 現国分寺の境内は、創建時の国分寺跡の遺構上に位置しているそうです。  
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都々一坊扇歌堂

常陸国分寺の境内にある、「都々逸節」の創始者、都々一坊扇歌の堂。 都々一坊扇歌は、文化元年(1804年)に常陸太田市磯部に生まれ、 嘉永5年(1852年)に当地石岡で、48歳で没したとのことです。  
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常陸国分尼寺跡

国分尼寺は国分寺と同様に天平13年(741年)の聖武天皇の詔によって 68の国ごとに建立されたもので、そのうちの一つが常陸国分尼寺です。 現在、史跡公園として整備が進められ、市民の憩いの場所となっています。  
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筑波山

つくば市北端にある、茨城県のシンボルの一つとされている標高877mの山。 「真珠湾攻撃を実施せよ」を命じる隠語は「新高山登れ」であったが、 「直ちに帰投せよ」を表す隠語は「筑波山晴れ」であったとのことです。  
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長光寺

茨城県筑西市にある、平国香の館跡とされている曹洞宗のお寺。 承平天慶の乱の際、平将門の伯父である平国香は、平将門との戦闘に敗れ、 承平5年(935年)2月4日、石田館が焼かれて死亡したと伝えられています。  
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鎌輪香取神社

茨城県下妻市鎌庭に鎮座する神社で、平将門の館跡と伝わるところ。 平将門の館は、「鎌輪の宿」と「石井の営所」とがあったそうですが、将門は、 承平7年(937年)、 戦いが激しくなり、館を「石井の営所」に移したそうです。  
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石井の井戸

この地を見回っていた平将門の喉が渇いて急に水が欲しくなった時のこと。 老翁が現われ、大石を軽々と持ち上げ大地に投げつけると、そこから清水 が湧き出し、将門たちは喉を潤すことができたという伝説の井戸跡です。  
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九重の桜

茨城県坂東市岩井にある、平将門が植えたと伝えられている桜の木。 九重というのは皇居又は王宮の事を指す言葉で、この桜は、京都御所 の紫宸殿前にあった桜を株分けしたものだそうです。  
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一言神社

茨城県坂東市岩井、石井の井戸からすぐ近くの所に鎮座している神社。 老翁が一言「水」と言いながら大量の水を湧き出させ、将門公と従兵達は 喉を潤す事が出来たという逸話に出てくる老翁がご祭神だそうです。  
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延命寺

延命寺は茨城県坂東市にある真言宗豊山派のお寺で、別称は「島の薬師」。 このお寺の薬師堂内の厨子殿に奉安する薬師如来像は、平将門の守り本尊 と称する持護仏で、将門の死後に祀られたものと伝えられています。  
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島広山(石井の営所跡)

茨城県坂東市岩井の国王神社から近くのところにある、平将門関係の史跡。 平将門が関東一円を制覇するときに拠点とした石井営所跡と伝わるところで、 名実ともに将門の政治、経済、軍事の拠点として賑わっていた所だそうです。  
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国王神社

茨城県坂東市に鎮座する神社で、平将門の戦死の際、難を逃れ奥州に 隠棲していた将門の三女が、将門の33回忌にあたる天禄3年(972年)に この地に戻り、将門の像を刻んで安置し祀ったのが始まりとのことです。  
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