テーマ:栃木

織姫神社

栃木県足利市西宮町に鎮座する神社。1200年以上の伝統と歴史をもつ 足利織物の守り神で、織姫山の中腹に建つ平等院鳳凰堂をモデルとした という朱塗りの美しい神殿は足利名勝のひとつともなっています。  
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足利市機神山古墳群17号墳

栃木県足利市の機神山から両崖山にかけてに分布している機神山古墳群 の中の一つ。径10~12m、高さ約2mの円墳で、機神山山頂へ至る道の 途中に両袖型の横穴式石室の一部のみが残されています。  
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本城厳島神社

栃木県足利市本城に鎮座する厳島神社。寛政5年(1793年)の建立で、 明治維新前は、「明石弁天祀」とも呼ばれていたそうです。「美人弁天」として 知られている弁天様は厳島神社の御祭神、市杵島姫命の分身とのことです。  
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御嶽神社(両崖山)

栃木県足利市にある標高250mの両崖山の山頂に鎮座する神社。 天保15年(1884年)に、御嶽大神と呼ばれる国常立尊、大己貴命、 少彦名命を祭神とする木曽御嶽神社を勧請したものとのことです。  
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足利城跡

栃木県足利市にある標高250mの両崖山に、平安時代後期に築城され た山城の跡で、両崖山城とも呼ばれています。この城を巡っては4度の 合戦が勃発していて、其々足利城の戦いと呼ばれています。  
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稲葉一里塚

稲葉一里塚は、日光道中壬生通り(日光西街道)、現在の栃木県下都賀郡 壬生町に設けられた一里塚。江戸日本橋から数えて24里目にあたり、江戸 時代の古文書によれば塚の上には松が植えられていたそうです。  
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吉次観音堂

栃木県下都賀郡壬生町、金売吉次の墓の傍にある小さなお堂。吉次は病 にたおれこの地で生涯を終えましたが、里人たちにより、吉次の墓とともに 吉次の守護仏である観音像を祀ったお堂が建てられたと伝わっています。  
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金売吉次墓

金売吉次は源義経が奥州藤原氏を頼って奥州平泉に下るのを手助けした とされる伝説的人物。義経が頼朝と不仲になり、奥州へ逃亡する際に吉次 が同行し途中で病死したとされ、栃木県下都賀郡壬生町に墓があります。  
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中禅寺湖

栃木県日光市の日光国立公園内にある、国内では25番目の面積をもつ湖。 2万年以上前に、男体山が噴火し溶岩で渓谷が堰き止められてできた湖で、 日本一、標高が高いところにある湖として知られています。  
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竜頭の滝

竜頭滝は、栃木県日光市にある滝で、奥日光地域を代表する滝の一つ。 「竜頭」の名前は、中央の岩を竜の頭部に見立て、 二枝に分かれた滝を竜の髭に見立てたところからと言われています。  
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華厳滝

栃木県日光市にある滝で、仏教経典の1つである華厳経からの命名とのこと。 中禅寺湖から流れ出る唯一の流出口大谷川にあり、落差97mを一気に 流れ落ちる様は壮観で、日本三名瀑のひとつにも数えられています。  
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天海僧正像(日光)

天海僧正は徳川家康の側近として、朝廷政策・宗教政策に深く関与した僧。 家康は自らの神号や葬儀に関する遺言を天海らに託し、天海は家康の神号を 「東照大権現」と決定し、家康の遺体を久能山から日光山に改葬しました。  
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日光食堂本店

神橋脇に建つこの建造物は、明治時代後期に土産品店として創業した 創業当時の面影を残し、高い天井・太い柱や梁、随所に見られる装飾的な 彫刻は往時をしのばせ、国の登録有形文化財に 指定されています。  
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板垣退助像(日光)

板垣退助は土佐藩出身で、自由民権運動の主導者として知られる政治家。 戊辰戦争の際には新政府軍の将として、日光廟に立てこもった大鳥圭介らの 旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から守ったと伝えられています。  
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神橋

日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財、世界遺産にも登録され、 日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つに数えられています。 神聖な橋ではありましたが、昭和48年より広く一般に公開さています。  
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二荒山神社

日光二荒山神社は、栃木県日光市にある神社で、下野国一宮。 正式名称は「二荒山神社」ですが、宇都宮市の二荒山神社との区別のため、 日光二荒山神社と称され、世界遺産「日光の社寺」の構成資産の1つです。  
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想像の像

日光東照宮の上神庫の屋根下にある、狩野探幽の下絵とされる大きな彫刻。 狩野探幽が実際には象を見た事がなかったことから、「想像の象」と呼ばれ、 「三猿」「眠り猫」「想像の象」で東照宮の三彫刻と云われているようです。  
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唐門

日光東照宮の拝殿の入口にあたる場所にある門で、国宝。 全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父」や「舜帝朝見の儀」など細かい 彫刻がほどこされています。  
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徳川家康墓所

徳川家康の死は、元和2年(1616年)4月17日巳の刻(午前10時頃)。 家康は始め駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られ、一周忌を 経て、江戸城の真北に在る日光の東照社に改葬されたとのことです。  
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眠り猫

日光東照宮にある左甚五郎の作品と言われている彫刻作品で、国宝。 奥社入口を護る「眠り猫」は、徳川家康を護るために、寝ていると見せ掛け、 いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれています。  
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三猿

日光東照宮の神厩舎の長押上にある、三匹の猿の彫刻。 この三猿は、「見ざる・言わざる・聞かざる」を示し、子供のころには、悪い事を 「見ない、言わない、聞かない」ように教育すべしとの意味だそうです。  
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東照宮

徳川家康を神格化した東照大権現を祀る、栃木県日光市にある神社。 絢爛豪華な社殿群は、殆どが寛永13年(1636年)に建て替えられたもので、 陽明門、唐門、などの国宝もあり、世界文化遺産にも登録されています。  
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日光山輪王寺

栃木県日光市にある天台宗の門跡寺院で、創建は奈良時代に遡るが、 近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めたとのことです。 輪王寺の境内は、「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。  
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唐沢山神社

唐沢山神社は、栃木県佐野市の唐沢山山頂にある、藤原秀郷を祀る神社。 祭神の藤原秀郷は俵藤太(田原藤太)の別名でも知られ、下野国押領使と して唐沢山に唐沢山城を築城し、秀郷の子孫の佐野氏が居城としました。  
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唐沢山城跡

唐沢山城は藤原秀郷が築城したと伝わる山城で、関東七名城の一つ。 唐沢山(247m)の上にあり、関東一の山城とも称されていて、戦国時 代には、上杉謙信の10度に及ぶ攻撃を撃退したと伝わっています。  
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米山古墳

栃木県佐野市犬伏新町にある古墳で、一時、北関東最大の前方後円墳 であると云われていましたが、実際には、自然の丘陵だったそうです。 麓には、真田父子の「犬伏の別れ」で有名な、新町薬師堂があります。  
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新町薬師堂(犬伏)

栃木県佐野市犬伏新町にある薬師堂は、慶長5年(1600年)、天下分け目 の関が原の合戦を前に、真田父子3人(昌幸、信幸、信繁)が、東軍と西軍に 分かれて戦うことを決断した密議の場所だと伝承されています。  
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宇都宮城

平安時代に藤原秀郷あるいは藤原宗円の築城と伝わる城。江戸時代初期 の宇都宮城釣天井事件の舞台として知られ、また幕末には、戊辰戦争で攻 防戦の舞台ともなった所です。  
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日光田母沢御用邸記念公園

栃木県日光市にある県立の都市公園で、元は皇太子時代の大正天皇の 静養所として造営された旧御用邸を公園として整備し一般公開しているもの。 明治期以降の数多い御用邸建築のうち、ほぼ完存する唯一の例だそうです。  
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古川掛水倶楽部

明治時代に足尾銅山を経営した古河市兵衛が、約110年前に足尾の迎賓館 として建設した2階建の洋館で、接待や宿泊施設として使用したそうです。 近くの当時の社員住宅や鉱石資料館、電話ミニ資料館等も見学できます。  
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